ネコヤシキ日笑
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20代の半ば、ひとりでお遍路をしていたときのこと。
そのときは、歩き遍路ではなくて、交通機関の使えるところは使い、歩くしかない山道だけを歩いていた。
徳島から高知への途上だったか、あまり険しくはない山の上の札所に参り、次の札所に向かって降りていた。おだやかな日。人通りはなく独りで、木の葉を踏んで歩いていた、と記憶する。
うしろから、さくさくと慣れた足運びで、柴木の束を抱えたおじさん(おじいさん)が追いついてきた。地元の人らしい。追い越しぎわに、私に声をかけてゆかれた。ひとりごちてゆかれた、のかもしれない。
「お遍路をしとりなさるか。いいことだ。お大師さんのおかげで、わるいようにならん。お大師さんのおかげで、死ぬるようなときでも、いいように生きていられる」。
……へえ。ずーーっと命拾いできるのかなあ。ホントかなあ。
「死ぬときには、いいように死ねる」。
……なによう。いいもわるいも、どうせ死ぬんじゃない。同じじゃないの。
おじさんは、そのままどんどん先に降りてゆかれた。
このごろになって、みょうに繰り返し思い出される。
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