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2002年02月12日(火) そんなの勉強して何になんの?

エスペラント日記モドキの方に書いたのだが、このあいだ、エスペラントで書かれた文書日本語訳)を読んでいたら、同僚から「へえ、今でもエスペラントなんてやってる人がいたんだね!」と言われた

こういう反応には慣れてしまって、ふふふと笑って聞いている。私もそう思っていたもの。むしろ、エスペラントというのが言語のひとつで、かつてはわりと学ばれていた(らしい。私はその時代を知らない)ことを知っておられただけでも御の字。

そんなにも流行っていない(?)マイナーなコトバをほぼ毎日学んで半年になり、まだほそぼそと続けようとしている。たまに「そんなの勉強して何になんの?」と問われると、もともとの目的もあるし、やっているうちに新しく生じた関心もあるのだけれど、人にはたいてい「物好きだからね」かなにか言ってごまかしている。ほんとに物好きだと思うし。

これが英語なら、「そんなの勉強して何になんの?」とは訊かれたことがないし、もし訊かれたとしても、これこれの役に立つから、とすぐに答えられる。

私は今も日々、英語で読んだり書いたり聴いたりする機会・必要があってくらしている。仕事でもだし、英語が母語である友人とのメイルでも。旅先で役に立つし、仕事の国際誌(英文)が読めないとメシが喰えないし、アジアの人たちとも英語で用を足すことが多い。

経済力や軍事力のある国のコトバが世界共通語化しているような現状には、思うところがないではない。だけど実際上、私が生きてるあと数十年間かくらいはたぶん、(米語ではなくなるかもしれないが、何らかの)英語は多くの場面で用を足すのに役立つメジャーな言語(の少なくとも一つ)であり続けるだろう。

母語話者が少ないマイナーな言語でも、ある国や地域でそれなしでは用を足すのに困るなら、これこれの役に立つから、という答えは明らかに伝えられる。

エスペラントはというと、それができれば足せる用はあるが、できなくても困る用はない(なさそう)。何にもならなくてもいいから、ある段階までは習得してみたいな…ぼちぼちだけど…という、固くない決心みたいなものがあって、当面続けることには迷いはないんだけど、いろいろ考えたりはする。


ここ(2月8日)で


自分はなんでこんなことをしているのだろう、こんなことをする意味は何なのだろう、と考えているうちは万全ではない。だからいろいろ考えたり、迷ったりするわけだ。ところが、それをずーっと続けているうちに、だんだんとその行為の意味を自問することが少なくなってくる。それは何か明快な解答を見つけたり、最終的な結論を見いだしたりしたということではない。

そうではなくて、その行為そのものが答えなのだ、ということに気づくということなく気づいてしまっているからなのだ。

とおっしゃるのはたぶんここでもそうで、いまは全然「万全」じゃないと思う。ということは、もし数年続いて万全になるとしたら、このことについて書くこともなくなるかもしれないわけだし、続かなかったらもちろん書くこともなくなるので(ははは…)、今のうちにせいぜいあれこれ考えて、書いておくのもいいかな。

…初心者、世にはばかるのだ。


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