ネコヤシキ日笑
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入試監督。今日は約9000人が受験。約90教室を使い、監督要員も数百人。
監督マニュアル冊子が渡されて説明会が行われる。なかなかよく練られたマニュアルだと思う。受験室ごとの監督責任者は、それに書かれている受験者への指示を読み上げることになっている。
が、前回も今日も、そして昨年も、責任者であるきょうぢゅ方は、なぜか皆、このマニュアルを指示通りに読み上げることをなさらない。なぜか、こんなところで個性の発揮をなさるのだ。
ジョークのつもりだろうが、緊張しているはずの受験生には笑えそうにもないひとことをしばしば付け加えたり(内容削除)。手順がわずかに、しかしなにかと矛盾して指示されたり。…「印刷された名前を確認して自分の解答用紙を取る」が「裏返しのまま後ろの人へ」になったり。「配布前にトイレへ」がもう開始の合図を待つときになってから「遠慮せずにトイレへ」になったり。照合のために「通路側に受験票を」が「左側に受験票を」になったり(半分の人は「右側」が「通路側」だ)…の類。
どれも些細なことといえばそうなんだが、受験生さんたちの間にはちいさく「あれ?」とか「ん!」とかの反応も見てとれる。ジョークも滑ればクレームになるかもしれない。臨機応変は必要だろうが、こういうときはまずは「マニュアルどおり」が誠実なしごと、だと思うのだけれど…。
英検のときみたいに、全教室に一斉に放送で指示を流すとか、どうかしら。
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国語の問題、感涙。
(四国遍路の)37番札所岩本寺から足摺岬にある38番札所金剛福寺までの距離は百キロもある云々…と、その問題文は始まる。
そうなのだ、百キロもあるのだ。数年前に、そのうちの約80キロを歩き遍路の仲間たちと歩いた。三日、ただただ歩いて歩くあの道。
生死や業(ごう)に言及するこの問題文もまた、入試で読むにはもったいないようなしみじみとしたもの。文中に『梁塵秘抄』の歌や、田宮虎彦の『足摺岬』から「生涯を歩き草疲れ(くたびれ)て…」などの引用。後で調べたら、おそらくこの本が出典のようだ。
遍路にウンチクを蓄えるようなのはやめて、ただただ歩こうと思って、このごろこの手の本は読まなくなっていた。けれど、ちょっと手にとってみたくなった。
さらに調べている途中で見つけた、充実おへんろサイトいくつか。 ・Pligrimage on Shikoku Island ・掬水へんろ館 - 歩き遍路を中心とした四国遍路の実践 ・四国へんろ、道先案内
3月下旬に、もう一度、歩き遍路にゆきたい。
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古文の問題も、『とはずがたり』から、足摺岬の由来を書いた部分…らしい。二人の菩薩が舟の艫舳で泣く泣く足摺を…とかと読める。どういう経緯なのか知りたかったが、私には古文が読めなくて、よくわからなかった。
むかし、今はなき共通一次を受けたころには、助詞の使い方だの基本古語だの、ひとしきりは知っていたはずなのだ。古文や漢文の素養があれば、それなしにはアクセスできないものを味わったり、情報を得たりできる。詩歌とか仏教関係などで、そう思わされることがときどき生じる。受験生のころにはそんなもののありがたみなんか、想像もつかなかった。
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