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2005年02月12日(土) |
『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』 |
<注!> 雑談が数行書いてありますが、 出演者の下はエンディングまでネタバレです。 全く気にしないという方だけお読みください。
終演後、友人に付き合って三宿に行きました。 古い家具を売ってる店だとかで、家の改装に当たって 自分の部屋のドアにするためのステンドグラスを 探しているんだそうな。およそ自分では考えつかない ような用事のために、垣間見た世界でしたが、 ステンドグラスつきボロの扉1枚10数万というのは、 劇場通いに数十万よりは安い趣味と言える…かな? 物心ついて以来ずっとマンション暮らしの身には 想像のつかない趣味ですが、家が出来上がったら 呼んでくれるそうなので、楽しみにしてみます。
『幻の心もそぞろ狂おしのわれら将門』
場所:シアターコクーンC列12番 時間:1幕70分、2幕65分 演出:蜷川幸雄 出演:堤真一、段田安則、木村佳乃、中嶋朋子、高橋洋ほか
オープニングから、浅間山荘の鉄球。 エンディングも、同じ事件を思わせるヘリや拡声器の音。 何だか、それに挟まれた舞台とものすごく違うものを 感じさせて違和感なのは、私だけなのでしょうか? 気持ち悪い思いを抱えて感想サイトを巡ってみれば、 「滅びの美学」という共通点があるんだそうで。 マジ?私、そんなものはチラとも感じなかったけど。 浅間山荘事件がそうだったとも思ったことないし。
追いつめられて逃げ落ちる中で頭に大怪我を負い、 自分は将門を狙っている武者だと信じ込むという狂気に とりつかれた将門(堤真一)の話。私にとってこの話は、 その参謀でもある三郎(段田安則)が主役と感じられた。 彼は、もはや逃げ延びること適わじとなった最後に、 「将門」を永遠に殺さないため=生きているという伝説を 口の端に上らせ、敵にも民衆にも忘れさせないために、 ひたすらに「将門」を探し求める男一人を逃げ延びさせる。 その男は、肉体は将門自身であるが故に、三郎が生涯 愛し憎み続けた男は、体も生きていくことができる。
そのエンディングが、滅びの美学であるとは思えない。 もしテーマがそうなら、私の感じたこのあらすじ自体が、 まったく違うということだったのでしょうか? 滅び云々がテーマだと書いていた人は1人ではないし、 私の感じ方が間違っていたのかもしれないのですが。
それにしても、鉄球やヘリなどさえなければ、ひたすら 三郎視点で観て、未来へ続く思いに満足し、涙して、 幸せに観終えることができたのにと、少々 不満。 せっかく好きに色々なことを感じさせられる脚本なら、 具体的に何かを指す演出をしないでほしいなというのは、 最近の蜷川さん演出で毎回のように思うことなのですが。 何かどうも、語りすぎてうっとおしいような。 間違った解釈してるやつに言われたくはない?
自分の方があらゆることに優れていながらも、 彼が持つ「伸びやかな精神」を自分が持ち得ないという ただ一点のために、将門に対して永遠の愛と憎しみを 抱いてしまっている三郎という人物は、立場的に、 非常に共感するものであり、私はその視点で観たのですが、 その視線の先にある堤@将門は、その思いに相応しいほど 狂ってしまっても尚、伸びやかに魅力的でありました。 その影から本物になろうとして成り切れなかった 五郎(高橋洋)も、兄さんに対する思いともども切実。
ただ女性陣は、少々演じすぎ感のある ゆき女(中嶋朋子) 逆に、演技が平坦だった桔梗の前(木村佳乃)ともども、 もう少し何とかなればなぁという気はしました。 まあ、中嶋朋子さんに関しては、蜷川さんの演出には 非常に合っていたと言えるのかな…。好みじゃないだけで。 でも全体として「役者さんは」非常に良かったと思います。 相変わらず物がドスドス落ちてきたり、役者たちに 異様に負担を強いる巨大階段とかの演出以外は…(-_-;)
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