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2003年06月20日(金) |
『天翔ける風に』再演観劇1回目 |
前回よりきれいにまとまった感じがする。 初演の荒削りな勢いは消えたけれど、良くなってるんだろうな。 「初演の方が好き!」と言ってしまうのは勿体ない気がするけど、 でも、初演の方がもう一度観たいという気持ちにはちょっとなる。
一番 良くなった点で、同時に悪くなったとも感じた点は、 英を取り巻く人物たちを、細かく書き込んだこと。 お母さんに関しては、どうも下品な印象が強くなって、 かえって、どんな人物か分かりにくくなったのですが、 智や溜水の人間像が くっきりして、面白くなったと思う。
お父さんは、キャラ変えた?演者の変更による変化だけ? 前回の石原さんだと、彼にも思想が見えた気がしたのですが、 今回は、盲目的に信じる愚かさの象徴みたいに見えていて。 何にも分からないけれど、将軍様に仕えてさえいれば、 悪いことなど何も起こるわけはないと思おうとしているような。 その方向で観ていて、彼の行動に納得が行っていたところ、 最後の竜馬暗殺だけは、いきなり分からなくなってしまった。 大切なのは家族や自分でも、行動基準は将軍様だけのはずの人が、 志士ヤマガタたちに脅されて動いたりするかなぁ?それが疑問。 保身より将軍様だった人物ですら変化する時代を描きたかった? だとしても、私には理解しきれなかったです。
でも、そんな感じで、周りをちょこちょこ観ていたら、 英の感情に ついていきそびれてしまった気がします。 もう初演ではとにかく、彼女の思想と罪と罰に翻弄されていた。 自分が女であること、選ばれた存在であること。 「思想」に引きずりまわされる彼女の心の中が、 そのまま志士たちの狂騒っぷりにも現れているようで、 母や妹なども、彼女の背負うものというだけの存在だった。 全ては彼女の内面を見せているかのような世界の中で、 才谷だけが計算以外のところに現れる存在で、 そして、唯一、彼女を救える存在だった。 既に英に同化しまくっていた最後の場面では、 どんなにか彼の言葉に自分を考えさせられたことだったか。
そんな集中度合いは、今回は消えてしまった気がします。 十字路の場面、今回の私にとっては「いきなり」でした。 英の気持ちを追い切れていなかったので、どうしたの?状態。 特に、ちょうど父親が志士から解放された後だっただけに、 この話の流れなら、竜馬を殺しに行かないよねぇ?と 疑問を抱えた状態でこの場面を迎えて「うわぁ、どうしよう」。 なんて残念な観方をしてしまったのだろうとは思うのですが。
謝さんが、こんなふうなことを言っていたのを覚えています。 「異国人である私は、男性社会の中の英の思いに共感した」と。 野田秀樹版の舞台を観て、英は自分だと感じたそうです。多分、 その思いが初演の勢いであり、私はそれに巻き込まれたんだと思う。 正直、今の時点としては、再演をもう一度観るより初演が観たい。 でも作品として客観的に観れば良くなっているのかもと思うし、 つい先日の『オケピ!』再演でも、初見の時は、初演のキャストや 雰囲気を引きずって、初演を観たいと観たい思いが強かったし、 もう一枚チケットもあることだから、また観てみようと思います。
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