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2003年04月28日(月) |
『サラ』観劇。とにかく凄かった。 |
<幕>1幕65分、休憩15分、2幕55分 <出演>サラ・ベルナール:麻実れい、ピトゥ(秘書):金田龍之介 <演出>宮田慶子 <作>ジョン・マレル <翻訳>吉原豊司
良かった。もう、最後はボロボロ泣いていた。 なんだか久しぶりに、頭の中で感想を言葉にする余裕もなく、 もういっぱいいっぱいで、熱い涙が湧いて出てきてました。 自分のためにも今回、最後までストーリー書いてます。 知っていても、観た時の感動が薄れはしない話だと思うけれど、 嫌な人はどうぞ次のパラグラフまでで読むのをやめてください。
実は、あまり興味はなかったんです。 何しろチラシとかに入っているあおり文句はこんな感じ。 「老女優と執事との心の交流から浮かび上がる 老いの豊かさとは?人生の意味とは?」 う〜ん・・・、果たして私に共感できるのかなぁ?って。 麻実れいさんの2人芝居ってのにも、宮田慶子さんが 丁寧に作り上げる「心の交流」にも惹かれはしたけれど、 テーマ的理由で前回はパスしたら、評判素晴らしく、再演。 でも興味はあと一歩。「¥8,000かぁ・・・」と悩み。 そうしたらやってきた、得チケ¥5,000。即買い。
1幕、南部フランス(かな?)の海辺にある別荘のテラス。 つたが這う壁に長い影が映る午後。海鳴りが近く遠く聞こえる。 そんな中、老いた大女優サラが、自分の伝記をピトゥに書かせている。 自分の記憶を呼び起こさせるため、ピトゥに、回想に現れる 人物たちの役をやらせては、自分のかつてを演じていくサラ。 フェードル、椿姫、ハムレット・・。右足が少し不自由なようだが、 「サラ・ベルナール」の名すら知らない私にも、 大女優というのは名だけではないと、その迫力が伝える。 話を聞いてよく見れば、右足は舞台の事故で切断し、義足らしい。
ピトゥも、世界中をサラがめぐった時代から一緒らしく、 もう随分と老いている。ついさっき話したことすら 忘れがちになった2人の会話は噛み合わないことも多く、 サラの険のある性格もあいまって、滑稽でもあるが笑いにくい。 前半は客席の笑いも多かったが、私には交じることは一切できず、 サラに同化したかのように苛立ちばかりがつのる舞台だった。 リアルに作られた波の音や夕刻の陽射しも気に障り、けれど それら正直で残酷な自然から逃げて屋内に戻る気にもなれず、 偏執的にパラソルを求めるサラの気持ちにも入り込む。 すごい舞台だとは思ったけれど気分は良くなかった。
2幕。同じテラス。午前5時。嵐が近づいて来ている。 嵐が好きだと言って、テラスに出てきて離れようとしないサラ。 求められ、演技を続けるピトゥとの会話によって、 母や妹、夫との生活が、次々に明かされていく。 そして、ピトゥが頼まれたものを取りに屋内に入った間に、 サラは倒れ、一時的に仮死状態になる。そして、 起き上がった彼女の目に入ったのは、昇る日の光だった。
「夜明け」が再生の象徴であることは珍しくない。 でも、仮死という状態の直後であっても、この太陽は 「再生」ではなく「生き続けている力」だったと思う。 どこの場面だったかは覚えていないけれど、 「太陽もいつかは死ぬなんてことを知らなかった人は幸福だ」 というようなことを彼女が言う場面があって、印象的だった。 「死」なんかを意識するから、人間はちまちま生きるようになった。 自分は知らずに生きていたはずが、いつからそんなことを、 考えてしまうようになったのだろうと言うサラ。 大らかに生きることができなくなり、焦り、苦しむ自分。 でも太陽は、自分がいつか死ぬことを知っていても、 こんなにも美しく輝いている。それを一瞬で感じました。 そのサラの顔を見たらもう、涙が止まらなくなってしまって。 ・・・・いやまぁ、言葉にするとすっげー陳腐ですが(^^;
「老いの豊かさ」とか「人生の意味」という形では 特に何を受け取ったという気はしないのです。 1幕で一緒になって感じ続けていたサラの焦りがなくなり、 「時間はまだまだあるわ」というセリフに共感したことが、 その答ということになるのかな? とにかく、良かった。すごい芝居だった。 結局、彼女の生涯とかろくに理解していないけれど、 そんな奴でも、思い返すだけで泣ける舞台でした。
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