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2002年12月07日(土) |
『Mozart!』マチソワ観劇(またまた長文(^^;) |
今は、月曜日の朝ですー。 外、初雪が降ってます。しんしんと寒いです。 お休みなら雪は好きです。独特の静かさがあるし。 でも、既に電車が遅れ始めているニュースとか聞くと鬱。 あー、今日は早めに家を出なくちゃ仕事間に合わない。 どうせ出かけなきゃなら、『M!』当日券の方がいいな。 こんな天気の日なら、少しは競争率低そうだもん。 そしてやっぱり、天気予報の雪だるまの目は動かない(泣)
この日記、夕方に、前日の分として書き始めたはずが、 途中で確認のためにと、買ったばかりのCD開けたら、 延々と聞いてしまって、慌てて聞くべき所へ戻したり、 無駄に歌詞聞き取りのため、繰り返し聞いたりしてたら、 あっというまに一晩、明けてしまいました。眠いよ(苦笑) でもこのCD、ストレスたまる。こんなんじゃないよー!って。 日生で観て不満だった感覚が、当然、そのまんまだし。 しかも今 観たら、私が観た日より録音日が前。はぁ。 ・・・これ絶対、帝劇CDなんて出してくれないよなぁ(泣)
もとい。『Mozart!』マチソワしてまいりました。 現実としては、両ヴォルフとも、10/19以来。 ただし、大変大変!同じ申し訳ないことには、 私にとって10/19Mの井上君の記憶はないようなので、 (帝劇で「井上君は日生初日以来なの!」と言っていて、 帰ってきて自分の日記を確認して愕然としたのです・・・) 井上ヴォルフは、記憶の中では日生初日以来。 結論から言って、両方とも すごーーく進化していて、 嬉しい観劇となりました(^^)
言葉にしようとすると、何か違ってきてしまうけれど、 無理に言うなら、井上ヴォルフは内面的で日本人好み、 中川ヴォルフは本来のこの舞台のヴォルフではないかと。 多分、どちらもこの舞台のテーマではあると思うのですけど、 内部における才能との戦いと、自分に才能だけを見る外部との 戦いと、どちらを前面に押し出してるかが違う気がした。
井上ヴォルフの、繊細さで自身を追い詰めていき、 死によって救われる感じは、エリザのテーマも思いだされ、 内野アマデとの組み合わせで、更に強く表されているし、 中川ヴォルフの、才能とは愛し愛されうまくいってたはずが、 外からの見られ方で歯車がずれていき、苛立ちが増加し、 今の自分自身を描こうとして果たせなかった姿は、 うまくいけば無邪気に笑い合える楓アマデと似合う気がする。
どちらが好きかと言われると、非常に困る。 ヴォルフ単体への理解や共感の度合いなら、完全に井上ヴォルフ。 やんちゃ度が上がってしまって、若干 統一性に欠けるけれど、 ♪僕こそミュージック と素直に歌い上げられたころから、 挫折や失望を積み重ねるうちに、自己の中の才能の煌びやかさと 自分の間にズレを感じ、自身の曲が自身のものでなく感じられだす。 成功の一瞬は、全てが昔のようにうまくいった気がしたりもする。 そして、誰かに否定された瞬間、また自己が遊離してしまう。 振り回される彼は、すごく理解できて、最期の笑顔に泣けてしまう。
対する中川ヴォルフは、私には正直、若干 理解しづらい。 あまりにも、才能を含んだ自己をしっかり確立してしまっていて、 その自分自身の中の一部だけしか見ない人々が作り上げた イメージとの落差で苦しんでいるように思われるから。 どんなに いろんな所で「変わった人」と言われる私であろうと、 相手が自分に求めるイメージに合わせて変わる人間でもあるから。 井上ヴォルフの「僕を見て!」も、中川ヴォルフのそれも、 丸ごと自分を愛された記憶がなく、成長しきれなかった子供の 叫び声には違いないけれど、自分自身の才能は一度も疑った ことのない強さが、私には共感しづらいのかもしれない。
ただ、中川ヴォルフは、その理解しづらさを無視して強引に、 観ている者の気持ちを動かしてくる迫力があるのも事実。 どちらに強く心動かされたかと言えば、中川ヴォルフ。 今日の中川ヴォルフなど、自分で歌っていて感極まったのか、 ド忘れという雰囲気ではなく、何度か歌詞が抜けてしまった。 前回までの観劇では歌詞がろくろく聞き取れていなくて、 今回ようやく話を理解しつつあるレベルの私には、辛いはず。 でも聞いている時は、一瞬「え?」と思うだけで、後は再び 音の渦に呑み込まれていく気持ち良さに身を委ねてしまう。
ストーリーを歌詞で説明することの多い この舞台にとっては 致命的だし、私の非常に嫌いなことなのに気にならないのは、 もはや、コンサート的な気分なのではないかとも思う。 舞台役者らしい動きなんて、全然してないしね(^^; (井上君は、この点については意外なほど成長したと思う。) でも、「中川晃教」ではなく「ヴォルフ(中川)」と感じるのは、 私が「中川晃教」を知らないだけではないような気がする。
もう一つ、中川ヴォルフについて感じるのは、 「自分を見る他人」がメインになっているためにか、 周りの人物がヴォルフを見る姿が浮かび上がってくること。 実際、彼のテンションがカンパニーに影響しているのか、 全体が強い光に照らされたように鮮明に見える気がする。 愛情、期待、悲しみ、失望、嫉妬、怒り、打算、他にもいろいろ。 特に男爵夫人とコロレードについては、個々の人格は ほぼ無く、 ヴォルフとの関わり部分しか描かれていないだけに、 舞台の中で演ずる役割が、分かりやすくなるのが嬉しいかも。 相変わらず、歌を聞き惚れさせるためだけに存在するような 祐一郎コロレードも、少し魅力を感じさせるのが不思議。
でも、コンスタンツェで泣きまくったのは、 西田ひかるちゃんの演技のおかげだと思う。 両ヴォルフともに、愛し愛されてることが すごく分かるし、 2幕後半に入った辺りの、父の死で混乱を起こしたヴォルフから、 「外の空気を吸ってくる」と彼女を置いて出かけるくだりなんて、 マチネでもホロッと来ていたのですが、ソワレではもう、ぼろ泣き。
西田コンスは、ある意味 普通なんですよね。 中川ヴォルフと並ぶと特に、子供同士の恋愛なのがよく見える。 自分を救い出してくれた王子様と、自分を愛してくれるお姫様。 結婚なんて考えもしないくらい お互い子供の恋愛だったのに、 覚悟もできないままに、家事全般やる主婦になってしまった。 家事もできない、愛情しかない自分に何ができるかって、 もしかしたら閃きを与えることだけかもしれないと思いつめるけど、 それは逆に、初めて才能とは関係ない部分を愛してくれた相手が、 「才能」の部分に拘り始めたと感じさせてしまう結果になる。 すれ違いが重なって、考えたくなくて毎日踊りまくるコンス。
そんな悪循環する姿が、一貫して見えてくるコンスが、 ♪借金の手紙 で、押しかけてきた母と姉たちの姿を見ての 羞恥と嫌悪とで逃げ出したくなっていう表情に、泣きそうになった。 王子様に対して、自分は迷惑ばかりかけているという引け目。 そして、父の死を告げられて混乱して死にかけたヴォルフにも、 何もできることがなく、1人で出て行かれてしまう無力感。
なにか、いつも周りが自分よりすごい人に見えてしまう私には、 共感の嵐って感じの役作りで、切なくて泣きまくっちゃいました。 ヴォルフが彼女を愛したのは、彼女が役に立つからじゃないことが 観ている側としては分かっているんですけどね、それだけに。 松コンスは、「悪妻」にしたいのかなぁ?という感じで、 よく分からないうちに3回分 観終えてしまったけれど、 西田コンスは、行動の理由がいちいち分かって嬉しい。 歌も、ボリュームは論外に低いのに何故か歌詞が聞こえるし。 あ、でも、♪ダンスはやめられないの妙に力入った振付は、 松コンスに輪をかけて違和感ありまくりかも(^^;
そんなこんなで、随分と満足しました。 日生では、中川君はもう一度観たいかもと思った程度だったけど、 全体的にパワーアップ、舞台としてもすごく良くなったと思う。 市村さんは高レベル維持だし、久世さんも雰囲気出てきたし、 花王さんもキャラ立ってきたし、圭吾君の うさん臭さは最高! 初日の時点で、こりゃ永遠にダメだと思った振付は、 何度観ても魅力的じゃないし、アンサンブルの歌も×だけど、 他のプラス面に気を取られて、あんまりそれどころじゃなかったし(笑) 今、結構 満足したからもういいや気分と、せっかくだから もう少し観ておきたい気分との間で、揺れ動いています。
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