手術は何度も繰り返された。 両足も切断された。 意識はあるはずもなく・・・
頭蓋骨も骨折していたそうだが 幸い脳が小さかった為 脳自体には傷は見当たらなかったそうだ。
しかし 身体の方は もう極限状態だったのだろう。
・・・2月3日・・・
最悪の日が訪れた。
朝 11時45分 死亡確認。 家族が見守る中、 医師が心臓マッサージを繰り返す。 何度も何度も 強い力が 父の胸を 押す。
わたしは この時初めて ICU に入った。 みんな、わたしが入るのを止めたし わたしも 父が元気になると 信じていたから あえて入らず 待合室のソファの上で 待ち続けていた。
そこにいた、、、 父は・・・・父ではなかった。
伯父が言った。
「先生。もういいです。もう充分です。有難うございました。」
嫌ぁっ〜〜〜〜〜〜〜。。。。。。。
2月5日・・・・・
お葬式は2月5日 暖かい日だった。
わたしとブキの結婚記念日・・・
それ以来、祝う事をやめてしまった記念日。
社葬でおこなわれたお葬式は500人近くの人が 見送ってくれた。 盛大なことが大好きだった父は最後の最後まで 豪快に終わらせた。
祖父と祖母の様子は 見ていて辛かった。苦しかった。 一人息子が年老いた自分達より先に逝くことの哀しみ。
自分が親になってからこそ わかる痛み。
幾晩も幾晩も床に伏せっていた。
父は法人の生命保険に入っていた。 何億というお金が入り 会社の借金はすべて返済された。 倒産は免れたが 残ったお金に 全然知らない人たちが群がった。
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