「愛」からいちばん遠いところ - 2004年05月10日(月) 昨日出席した結婚式で、神父さんが、聖書のこんな一節を紹介していた。 <コリント第一の手紙 第13章> 【愛は寛容であり 愛は情け深い また ねたむことをしない 愛は高ぶらない 誇らない 不作法をしない 自分の利益を求めない いらだたない 恨みをいだかない 不義を喜ばないで真理を喜ぶ そして すべてを忍び すべてを信じ すべてを望み すべてを耐える 愛は いつまでも絶えることがない】 僕は幸せそうな新郎新婦の姿を見ながら、この言葉を聞いていた。 聖書が説くところの「愛」から、僕はものすごく遠いところにいるのだな、と思いながら。 ここで説かれている「愛」が、いわゆる「アガペー」であり、日頃僕がイメージする「愛」が「エロス」であるとしても、「真実の愛」なんて、実際はどこにもないんじゃないか、なんて考えてみたりもするのだ。 僕は特定の信仰を持たないが、生きるために何かを信じたいという人々を全否定できるほど強くもないし、彼らが伝えてきたこの言葉には、おそらく人間の「善きもの」がたくさん詰まっているのだろうと思う。 でも、その一方で、この<コリント第一の手紙>に記されている「愛」が唯一存在しうるところがあるとすれば、そこは「死の世界」だ、などと感じてもいるのだ。 これを全て満たすような状況というのは、人間にとっては「無」だけなのではないだろうか。 「愛情」という言葉があるけれど「愛」と「情」というのは、本来の意味においては、対義語なのかもしれない。 もし、「愛」というのが、人の心を動かすことがないものならば。 ただ、目の前の新しい夫婦は、愛に満ちた人生を送ってもらいたい。 せめて彼らの命が尽きるまでは。 なんとなく、そんなことを考えていた。 ...
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