夕暮れに感じる「失われたもの」 - 2004年04月07日(水) 昨日の夕方、ちょっとした用事で外を歩いていたら、どこからか魚を焼いているにおいが漂ってきた。たぶん塩鮭だと思う。もう15年も一人暮らしをしていて「あたたかい家庭」なんてものへの憧れは消え去ってしまったような気がしていたのだが、この「夕飯の支度の香り」にだけは、なんだかセンチメンタルな気持ちにさせられる。 失われてしまった一家団欒への追憶、とでも言えばいいのだろうか?もともと僕の子供の頃にだって、そんな理想的な団欒なんてありはしなかったような気もするのだけれど。 少なくとも今の路線で人生を進めていけば、僕に団欒の食卓なんてものが訪れる機会はないような気がする。夜は遅いし、結婚相手だって一生懸命毎晩ごはんの支度をするような余裕はあるまい。 そんな人生が間違っている、なんていう気はない。でも、あの夕暮れのにおいに、僕はいつも「失われてしまったもの」を感じて、せつなくなるのだ。 「専業主婦で、ずっと家で待たれたりしているのはプレッシャーになるからイヤだ」なんて言いながら、僕はそういうものを求めているのかもしれないな、とときどき思う。 「家のことをキチンとやる」とか「家族を幸せにする」というのはスゴイことだな、と最近、あらためて感じる。 「みんなをほんの少しずつ幸せにすること」と「身近な人をものすごく幸せにすること」のどちらが正しいかなんて、誰にも決められないよな、きっと。 「ひとりの人間が周りに与えられる愛情の総量」なんて、実は、そんなに個人差はないのかもしれない。 ...
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