シンプル・シンキングのススメ - 2004年02月22日(日) 例えば「競馬」というものがある。 「競馬とは何か?」という問いへの最もシンプルな答えは、「馬に人が乗ってレースをして、真っ先にゴールした馬と人が勝つ、そんな競技」ということになるだろう。 その本質というのはおそらくダービー卿の時代から変わってはいない。 やっていることは一緒なのだ。 「オグリキャップ奇跡の復活」のドラマだって、実際にオグリがやったことといえば、中山競馬場の2500mを先頭で走り抜けた、ただそれだけのこと。 ただそれだけのことなのに、何十億もの馬券や競馬に関わる人々の営み、そしてファンの思い入れ、みたいなものが、ものすごく「競馬」というものを複雑で、ドラマチックなものにしている。 例えば、贔屓のプロ野球チームとか芸能人なんてのもそうだ。 ミルコ・クロコップとノゲイラがリングの上で激闘を繰り広げても、それは、誰も関心を持たなければ、僕たちの人生を変えることなんてないのだ。 でも、僕たちはそういう「自分には本来関係の無い何か」に思い入れを抱くことによって、そんなに長くもない人生をドラマチックにしている。 本来、人間が生きるなんてことはシンプルそのもので、食べて、飲んで、寝て、子供を作って、ただそれだけのことだ。現代社会では食物を得るために仕事をしなければならないこともあるが。 「生きる」という本質というのはたぶん、全然変わってはいない。でも、僕たちの思い入れは深くなるばかりで、いろんなものをドラマにしようとしすぎて、自分で自分がつくったストーリーの迷宮を彷徨う羽目になる。 もっとシンプルに生きられればいいのに、といつも思う。 個人サイトとは何か?といえば、たぶん「誰かが自分の気持ちや主張、作品を書いたもの」ということになるはずだ。でも、かなり多くの人がそこに自分の「思い込み」で肉付けをし、書いている人間に対して過剰な評価や批判をし、ディスプレイの向こうで笑ったり怒ったりしている。 僕には、そういうのが人生を難しくしているのだ、と思えてならない。 結局、自分で自分の首を絞めているだけなんじゃない? あなたからのクレームの大部分は、「あなたが勝手にそう思い込んでいること」であって、僕はそんなことは書いていないんだけど? ところで、こういうとき「あなた」というのは、特定の誰かのことじゃないですからね、と念押ししておかなければいけないのは、すごく悲しい。 いや、僕自身「これはオレのことか?」と思いがちなんだ、本当は。 ...
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