マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

運転免許の更新に行って考えたこと。 - 2004年01月14日(水)

バイトとバイトの合間に、運転免許の更新に行った。
この免許更新というやつは、かかる時間はそんなに長くもない(ような記憶があった)のに、5年に1回という中途半端な間隔であることもあいまって、非常に気が重くなるイベントだ。
実は、今回は駐車禁止で一度違反切符を切られていたのだが、ちょうど更新が「優良」に決まったあとだったみたいで、ギリギリセーフだったらしい。
やれやれ、僕もときには悪運が強い。

それで、型通りに「交通安全協会」とやらの協力費を払い(しかし、どうしても必要な費用なら全員から徴収すればいいし、任意の割にはほとんど義務的に払わされている。何故?と毎回思うが3年〜5年すれば忘れる)、書類チェック、かったるそうな職員の人の視力検査、写真撮影(今回は、比較的マシだったような気がする。いつも緊張してとんでもない写真を持ち歩くことになってしまうからなあ)を済ませて、2階にある教室へ。

そこでは、例のごとく「思い込み」の危険性を訴えるビデオ鑑賞。
「止まってくれるだろう」という思い込み、「このくらい呑んでも大丈夫」という思い込み、「居眠りなんてしない」という思い込み…
それは確かにその通りなんだけど、どうもワイドショーチックな作りがなあ…
まあ、いきなり「死ねばよかったのに」とかいう手垢にまみれたネタが一発目で、怖いというよりうざったい子供の叫び声がこだまする「本当にあった怖い話」よりは、はるかにマシかもしれないが。

そのあと、やたらと慇懃な「先生」が出てきて、たぶん一日に何度も同じことを言っているのであろう、耳にタコができそうな講義を30分程度。
「取締りを厳しくすれば、交通事故は減る。そんなのでは情けないので、もっと自覚して安全運転をやってもらいたい」

……ああ、もうダメだ。
取締りをすれば、本当に交通事故がなくなるの?
それは、本当に統計学的有意なのか?
確かに、飲酒運転の罰則強化は当然の流れだ。
というか、ああいうのは刃物を振りかざして襲ってくる人と同じなのだから、今までの罪が軽すぎたのだ。
そして、罰則強化は確実に意識改革につながっていると思う。

しかし、その一方で、「明らかにスピードが出てしまう道」でのスピード違反の取締りや「誰かに迷惑をかけているとは思えないような場所」での駐車違反の取締りに、「罰金稼ぎ」以外の意味を見出すのは、僕には困難なのだが。

僕は、水を打ったように静まり返っている、その優良運転者講習の教室で思った。よくみんな、こんなに退屈かつ独善的で、講師にも熱意が全く感じられないような話を黙って聞いていられるな、と。
でも、結局僕も黙って席について、その話を内心ムカつきながら聞いていた。

やっぱり、免許が無いと困るからさ。

成人式で暴れる若者はバカだが、大人が暴れないのは、モラルが高いというより、みんな必要なものを得るためにガマンしているだけなのだと断言できる。
どんなバカだって暴走族だって、免許センターの講習中に暴れたりは(たぶん)しない。
モラルが高いわけじゃなくて、免許が欲しいからだ。

逆に言えば、大概の人間は、自分にとって大事なものが係っていれば、大人の対応をせざるを得ないのだ。
「黙って聞かないと殺すぞ!」と銃をつきつけられて言われれば、誰だって黙って聞くくらいのことはするだろうしね。

大人はモラルが高いわけじゃなくて、大事なものが多すぎるだけなのかな、なんて思った免許更新だった。
しかし、この免許ビジネス、なんとかならないものか。
唯一意味がありそうなのは視力検査くらいだったが、あんなに適当でいいのか、なんて自分が更新直後なので憤ってみたり。
動体視力とか、ちゃんと調べたほうがいいんじゃない?




...




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