「女の化粧の意味」について、男の立場から考える。 - 2004年01月07日(水) 最近、「メイク」について書いた文章をたて続けに読んだので。 参考リンク: ・最北医学生の日常(2003.12/26)「化粧がケバいと男が言うとき」 ・えむじょSTATION(2003.12/28)「メイク論・女の子って楽しい!」 ・淡々としていなくもない日常(2004.1/6)「変身願望に取り憑かれる。」 基本的に、男の子の多くは、「化粧臭いオンナ」が好きじゃないと思う。 僕も子供のころは、化粧をベタベタ塗った女性に良いイメージを持っていなかった。 けっこう香りもキツイし、ケバケバシイ印象があるから。 でも、今ではバッチリメイクをしている女性は、キライじゃない。 これから書くのは、僕が化粧というものの意味について考えさせられた話だ。 6年くらい前の話。 その日は、もうすぐクリスマスというあわただしい年末の1日だっだ。 僕の母親は当時病院に入院していた。 それは、現代の医学では治らない病気で、もう母の意識はほとんど無く、話しかけても返事も無く、何か見えているか、何か聞こえているかもわからないような状態。 そんなある日、彼女が「お見舞いをさせて」と言ってきた。 もうこんな状態だから、ということを説明して、「たぶんもうわからないから、来なくていいよ」と話したのだけど、「それでもいいから」ということで、彼女は病室にやってきたのだ。 その顔を見て、僕はビックリした。 もともとほとんどスッピンに近い状態で生活をしている人なのに、その夜の彼女は、僕が一目見てビックリするくらいのバッチリメイクだったのだ。 いや、バッチリ、というよりは、明らかに過剰なメイクで、率直なところ「塗りすぎ」なのだけど(もともとそういう顔を見慣れていない、というのは差し引いても)。 でも、僕はその顔を見て笑い出しそうになったのと同時に、泣きそうになった。 彼女が死にゆく人に何を伝えたかったのかは、僕にはわからない。 もちろん、母親は何の反応も示すことはなかったが、たぶん「何か」をふたりは話していたんじゃないかな。 女同士の話、ってやつだったのだろうか。 今、この話を思い返すと、あのとき、母親もメイクしてあげれば良かったかな、なんて考えてみたり。 僕は相変わらず「化粧臭いオンナ」は苦手だが、「化粧をしようという気持ち」に対しては、素直にありがたいな、と思うのです。 ...
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