マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「人生の選択」なんて、どっちを選んでも同じこと。 - 2003年12月09日(火)

 いつも読んでいるサイトの人が、大学院を辞めたという話を読んだ。
 僕も最近、いろんなことを考える。
 もう31(もうすぐ32)にもなって、研究生とかで無給で働いている(もちろん、名目は「勉強させていただいている」なのだが)という状況は、果たしてどうなのかなあ、とか。
 そんなに興味が持てるわけでもなく、全然うまくいかない研究などをやっていると、ときどき、こんな生活に意味はあるのか、とか悩んでしまう。
 ここで中途半端に基礎系をかじったところで、僕の人生に何のプラスになるだろうか?なんて。
 「物事を違った角度から見ることができる」とかいうのは、確かに事実なのだ。でも、30前後の3年間という「体が動く時期」をそのために費やすことが効率的なのかどうか、僕にはよくわからない。
 おまけに、研究だって順調とは言いがたい。

 何か、壁のようなものに当たってしまった場合、理想的なのは「壁をぶち破る」ことなのだろう。ただ、それが全ての人に可能なのかどうか。
 今のところ、僕はここに留まって、研究生としての生活を続けるつもりなのだが、それが正しいかどうかなんて、僕にはわからない。
 続ければ勝ち組、辞めれば負け組、なんてこともない。

 所詮、続けるのも辞めるのも、「選択肢のひとつ」でしかないのだ。
 この間も同じようなことを書いたけれど、僕たちが「選択ミス」だと思っていること(それはつまり、職業とか、配偶者とか)の大部分は、「選択肢そのものを間違えた」わけではなくて、選択肢を選んだ後の実行の仕方を間違えているだけなのだ。
 たぶん、そこに気がつかないと、いくら他の選択肢を選んでみたところで、結果は同じことにしかならない。
 もちろん、向き不向きなんていうのがあるから、自分の性に合わないものに対して努力するというのは難しい面もあるけど。

 まあ、偉そうなことばかり言いながら、僕は今も自分の「選択」をちょっと後悔している。まあ、自分のプライドが邪魔をして、今のところ辞めることはないだろう。それなら、辞めない、という選択肢で答えを出さなくてはならない。
 こういう、「ねばならない」っていう発想は、自分でも良くないなあ、と思うんだけどさ。
 「死ぬ気になれば、なんでもできる」というけれど、「なんでもやるくらいなら、死んでもいいや」という人間だってるだろうし。

 それでも、あのサイトの人が「辞めてよかった」という答えを出せることを心から願ってやみません。

 


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