「自分のための人生」って何だろう? - 2003年11月08日(土) こうやって、毎日お年寄りの血圧を測ったり、繰り返される思い出話を聞かされたり、研究室で顕微鏡を覗いたりしていると、ときどき、無性にやるせなくなるのです。 ああ、僕の人生って、いったい何なのだろうな…って。 こういうことを繰り返しているうちに、あっという間に40歳になり、50歳になり、60歳になり、まだ命があれば、今度は介護される立場になって死んでいく… そういう予想をなんとなくしてみると、人生なんて虚しいばかり。 「誰かのためじゃなくて、自分のために生きてみたい!」なんて青臭いことを考えてみたりもするわけです。 でも、「自分のために生きる」っていうのが、具体的にどういうものなのか、僕には思いつかないのです。 「自分らしく生きる」とか言って、海外を放浪したり、定職につかずにフリーターをやってることが「自分のために生きている」ということかと問われたら、僕にとってはそうではないと思う。 どうすれば自分のための人生を送ることができるのか思いつかないまま、毎日は続いていくのです。 「好きなことをやる人生」=「自分のための人生」と思い込めたらいいのになあ、とか思うことはあるんですけどね。 たぶん、毎日ゲームしたり、ネットばっかりやってても「自分のための人生」なんて感じられないだろうし。 逆に、マザー・テレサみたいに、「誰かのための人生」=「自分のための人生」と考えられるような人間でもないしなあ。 結局、そういう曖昧なところで、生き続けるしかないのかもしれないけれど。 ...
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