個人WEBサイトって、いったい何なのだろう? - 2003年09月11日(木) 先日、ある小さな病院にアルバイトに行った。 そこは昔ながらの田舎の病院という感じで、小さな待合室と受付、トイレ、検査室、レントゲン室、処置室、そして診察室、という、まさに病院として最低限の設備で運営されていた。 そして、あと1部屋、院長室というのがあった。 院長はまもなく還暦で、今回は体調を崩されて入院中のため、僕は昼休みにその雑然とした部屋(たぶん、急な入院だったのだろう)に通されて、そこで少し豪勢な昼食をいただいた。 おそらくその部屋は、この小さな病院の中で、唯一の「院長先生だけの空間」だったのだろう。 その部屋には、たくさんの医学書(けっこう年代ものが多くて、現代の医療に対応しているものは、その中の3分の1くらいかな、と僕は思ったのだけれど)と今までに習得してきた資格(「○○専門医」とか、そういうやつだ)の認定書や賞状、そして、その病院の歴史を語る、何十年も前からのスタッフの集合写真が古いものから順に飾られている。 今はもう成人されているはずのお子さんたちの赤ん坊の時の写真。 そして、中国の古い仏像の写真集やゴルフセット。 プレイメイト年鑑、なんていうのも転がっていた。 その雑然とした部屋の中で僕は、WEBサイトって、この部屋みたいなものなのかもしれないな、と思った。 自分が好きなものと自分を象徴するものの歴史。 そして、ちょっとした追憶とプライドと。 人間には誰しも、「他人には自分をこういうふうにみてもらいたい」という自分のイメージがあるのではないだろうか? でも、僕はこの部屋で、賞状や認定書には目もくれず、プレイメイトの写真集を発見して、クスリと微笑んでみたりもするわけだ。 どんなに努力しても、自分から見た自分と他人から見た自分を完全に一致させることは不可能。 でも、人はそれを飾らずにいられない。 僕はこういった文章の中で、「他人にこういうふうにみられたい自分」というのを半分意識的に、そして半分は無意識に演出しているのだろう。 でも、たぶんそれは、僕のイメージ通りには伝わっていかないのだろうし、僕も、他の人の誤ったイメージを受け取りつづけているのだ。 それでもやっぱり、賞状を張ったり、本棚にはちょっとカッコいい哲学書なんかを並べてみせずにいられない。 WEBサイトというのは、鍵のない自分の部屋のようなものだ。 それをみられることを想像するのは恥ずかしいけれど、その一方、誰かの目を意識せずにはいられない。 実際は、僕もベッドの下にエロ本とか隠しているわけで(いや、ものの例えだからね、念のため。さすがに31の男は現実にはそんなことをする必要はないので)。 まあ、賞状を見てすごいなあ、と思う人もいれば、子供の頃の成績表を見つけて「バカだなあ」と思う人もいる。もちろん、その両方の感情をいっぺんに持つ人がいる、ということなのだろう。 サイトは、間違いなく僕の一部だけれど、絶対に僕のすべてではない。 それだけは、確かなことだ。 たぶん誰もが、心に秘密の部屋を持っている。 〜〜〜〜〜〜〜 お知らせ:新しいサイトをつくりました。 「いやしのつえ」というサイトです。 隠居中(?)もこちらに足を運んでいただいた方々に、感謝をこめて、ご報告させていただきます。 相変わらず、こちらから表サイトにはいけますが、表からこちらに来ることはできません。 ところで、この「マニアックな憂鬱」では、これからも「ふじぽん」が、世間のとりとめもないことを書いていきます。 こちらも、あらためてよろしくお願いします。 というか、これで心置きなくここでマニアックなことが書ける! ...
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