ダ・ヴィンチ「糸車の聖母」の本当の価値 - 2003年08月29日(金) 時価2500万ポンド(日本円で、約46億円)のダ・ヴィンチの絵「糸車の聖母」が、スコットランドの富豪の古城から盗まれたということだ。 46億円、というのは、もうまさに信じられないような金額で、競馬のミラクルおじさんが20回、年末ジャンボが、一等・前後賞あわせて15回、クイズ・ミリオネアで460回優勝しないと買えないような値段なわけだ。 僕は絵画を鑑賞するのは大好きだけど(というか、あの美術館の静かな緊張感が好きなのだと思う。それに、実物というのは写真と違って、いろんな角度から眺められるものだから。絵を真横から見ると、絵の具ってこんなに分厚く塗られているんだなあ、と感心してしまうのだ)、ダ・ヴィンチの絵に46億円の価値があるかといわれると、なんだか考え込んでしまう。 それ以前に、そんな金はどこを振っても出てこないが。 この盗んだ人は、キャッツ・アイでもない限り、このダ・ヴィンチの絵を誰かに転売するのだろうけど、それを買う人というのは、どんな人なのだろうか? これだけの名画だと、盗まれた作品だということは、好事家にとっては、常識と化してしまうだろう。ということは、これを裏で買った美術マニアは、誰にも見せびらかせずに、こっそりと地下室かなんかで、ウヒヒヒヒ…とか言いながら、この「糸車の聖母」を毎夜眺める、ということになるだろう。 しかし、そのために46億円、というのは、ちょっとなあ、と僕は思うのだ。 実は、46億円のうち45億円くらいは、「自分がダ・ヴィンチの名画を所有していると他人に自慢できる権利」の値段なのではないかなあ。 美術館で言えば、入場料収入に直結している部分もあるだろうけど、こんなすごい絵を所蔵している、という美術館自信のステータスみたいなもの。 ブランド、というのは、えてしてそういうもので、シャネルのバックというのは、おそらく、機能的にはノーブランドの平均的な商品と、値段の格差ほどの違いはないのではないだろうか? とかいいながら、僕だって、3Dゲームで遊びまくるわけでもないのに、CPUは、1GHzくらいは最低なくちゃねえ、とか思い込んでいたりするわけなので、偉そうなことは言えませんが。 要するに、ものの価値、というのは、それに対する思い込みやイメージ、もっとつきつめれば、「いかに他人に自慢できるか?」という要素が大きいのではないかなあ、と思う。とくにそれが、生活必需品でない場合には。 他人に自慢できない「糸車の聖母」に、どのくらいの価値があるのかは、僕にはよくわからないが、少なくとも、46億円は高すぎるような気がする。46億円というのは、「見せびらかせる価値も含めて」の値段だ。 かわいい彼女やカッコいい彼氏、なんてのは、「他人に自慢できる」というメリットがあるので、より素晴らしいわけだ。 でもそれは、自慢したくもなりますよね。 そこで自慢しないと、「カッコいい彼がいるのに自慢しない、謙虚な女性」というやっかみ半分の特典がついてくることもあるけど。 まあ、愛っていうのは、ときには生活必需品なので、自慢できるかどうか、なんて言ってられない場合もままあるでしょうし。 自分にとっての「ものの価値」を判断するときに、「他人に自慢できる分」の値段がどのくらいを占めているか、考えてみてもいいかもしれませんね。 しかし、よく「人間は顔や職業じゃない、中身だ」とか言いますけど、「中身」っていったい何なのだろう? ...
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