ついつい「そっちは危ないよ!」と言いたくなる日記。 - 2003年08月17日(日) 隠居の身として、いろんな人の日記を読んでいる。 しかしながら、自分も日記書きであるという立場で読んでいたときとは、若干、感じ方が変わってきているような気がするのだ。 僕が好きな日記というのは、ネタ系よりも日常を真摯に語っているものの割合が多いのだけれど、最近、そんな日記を読んでいて「それは危ないよ…」と感じることが多くなっている。 それは、書いてある行為の内容の「危うさ」ではなくて、そういう内容の文章をWEB上に公開してしまう「危うさ」なのだ。 もし、それを同じ職場の人なり、批判されている対象の人なりが読んでいたら、とんでもないことになるんじゃないかなあ、と。 僕もそうだったのだけれど、そういう不満であるとかを誰かに聞いてほしくて日記に書くことってありますよね、実際。 でも、WEB上に公開しているかぎり、会員制にでもしなければ、誰が読んでいるかわからないのだ。 もちろん、テキストサイトや日記サイトの読者の数はまだまだ微々たるもので、教育テレビの朝の4時の番組に出演するより遥かに世間に認知される危険性は低いわけだけれど… 具体的に言えば、自分の同僚や上司の批判、職場での出来事への不満などをWEB上に公開するというのは、非常に危険な行為だ。 昔、ある作家が「身内に恨まれるようになって(そのくらいいろんなことを赤裸々に書けるようになって)初めて作家としては一流だ」と言ったそうだが、残念なことに、僕たちは文筆で口に糊しているわけではないので、デメリットこそあれ、メリットはほとんどない、ということになる。 もちろん、日記を公開することによって、共感してくれる人も現れ、精神的にストレス解消や癒しになることもあるのだが、「共感してくれるような近い立場の人間に読んでもらえる」というくらいメジャーなサイトになれば、「身内(あるいは批判している対象)にも読まれてしまうリスクが高くなる」ということだ。 医療行為などでは、ヘタしたら医療ミスの証拠なんかにされかないし、ちょっと前には、「大学の不正を告発する」と称して、患者のカルテを公開して逮捕された医師の例もある。 諸刃の剣、どころか、刃は、自分のほうにしかついていなかったりもするわけだ。 そこまで深刻な話にはならなくても、自分の悪口がWEB上で垂れ流されていることに対して、不快感を抱かない人間はまずいないだろう。 とはいえ、身内誉めみたいな日記は、誰も読まないんだけどさ。 芸能人のファンサイトじゃあるまいし。 書き手からしたら「表現欲のあらわれ」かもしれないけれど、ひとりの閲覧者の立場になると「どうして、こんなことをわざわざネット上に書くんだろう?」と思うことが多い。 書いている本人にとっては、家の日記帳に書いているようなつもりでも、書かれているほうにとっては、自分の悪口を書いたビラが、世界中にばら撒かれているようなものなのだ(とはいえ、現実的には、日本語サイトを読める人は外国の人には少ないだろうから、日本中、ということになるだろうが)。それは、ネット上の文章に対する、典型的な読み手と書き手の乖離。 ご隠居たる僕としては、自分が共感できる、リアルな職場の文章を眼にするたびに、危険を感じて仕方がない昨今なのだ。 ついつい、「そっちは危ないよ!」と言いたい衝動にかられてしまう。 しかしながら、家の秘密の日記帳に書いても、サイトに書くことに慣れてしまった人間にとっては、物足りないのも事実なわけで。 ...
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