原爆を許せる、ものわかりのいい日本人たちへの手紙 - 2003年08月09日(土) 今日、8月9日は、長崎の「原爆の日」だ。 終戦直前に広島、長崎に相次いで落とされた原子爆弾は、両都市を合わせて40万人を超える犠牲者を出した。 それから、もう58年が経つ。 僕が広島に住んでいたのは(とはいえ、実際に住んでいたのは、直接原爆が投下された広島市内ではなく、西側の岡山寄りの街だった)、もう20年くらい前のことだ。 当時の広島県内の小中学校では(たぶん今もそうなんじゃないかな)、8月6日は登校日で、全校生徒は講堂に集められて、原爆に関する映画を観せられたり、被爆者の方の話を聞かされたりしたものだ。 それは、子供心にものすごく怖かったし、眼をそむけたくなる歴史だった。 たぶん、当時の僕を含む大部分の小学生にとっては、ただでさえ暑い広島の夏の盛りに、夏休み中にもかかわらず集められて、そんな恐ろしい話を聞かされるのはあまり歓迎すべきことではなかったと思う(不躾な言葉を使えば、「かったるいなあ」という感じだ)。 そして、みんなで講堂で「ああゆるす〜まじ原爆を〜」とか「あおい〜そらは〜あおい〜ままで〜こども〜らにつたえたい〜」とかいう辛気臭い「原爆の歌」を歌わされるのは、心底苦痛だった。 でも、この年までそんなことを覚えているということは、それなりに教育効果があったのかな、という気もしているのだが。 中学校のとき、九州に引っ越してきて、同級生と図書館で本を読んでいたとき、僕は「原爆写真集」というのを手にとった。 小さい頃に広島の原爆資料館で見たはずのそれらの写真は、僕の心に大雨を降らせた。 爆風で人間の影だけが焼き付けられて残った階段。 体中焼け爛れた少女。 趣味の悪いオブジェのように、積み重ねされた人間の骸骨。 僕は悲しくなり、そして腹が立った。 そして、近くの同級生に言ったのだ。 「こんなひどいことが許されていいのか!」と。 同級生の解答は明確だった。 「でも、原爆のおかげで戦争が早く終わって、結果的には犠牲者の数が少なくなったのかもしれないし、仕方がないんじゃない?」 かなり衝撃を受けた。 しかし、この考えは、たぶん多くの現在の日本人が共有するところなのだろう。 実は、僕の親に同じことを聞いたことがある。 そのときには、親も同じように答えたあと、こんなことを付け加えた。 「それで戦争が終わってくれたおかげで、俺も生き残れたのかもしれないしな」 そのときは、なんとなく卑怯だと思ったのだが、今ではその言葉の意味もわからなくはない。 たぶん、人間をそういう思考に至らせるのが、戦争の罪というものなのだ。 しかし、リアルタイムで生きた人間はともかく、その子孫たちまでが、「原爆のおかげで戦争が早く終わって良かった」なんて、自嘲気味に語るのが、正しいことなのだろうか? ifの世界として、原爆投下がなくて日本人が皆殺しになっていれば、僕たちは生まれてこなかったのかもしれないが。 しかし、歴史的には、原爆投下がなくても早晩日本は降伏していただろうし(実際に、そのための交渉も行われていたのだから)、何よりも、原爆は、非戦闘員を問答無用で皆殺しにする、非人道的な兵器なのだ(もちろん、人道的な兵器なんてのが存在するのか?というのは、大いなる疑問ではある)。 僕は戦争は嫌いだが、人間というのは、何かを守るために戦わなければならないこともある、ということは理解できる。方法はともかくとして。 でも、原爆というのは、その守るべきものも含めて、すべてを破壊しつくす兵器であり、戦うことの意味すら喪失させてしまう兵器だ。 ヒロシマ、ナガサキ、そして第5福竜丸。 この58年間、世界が核兵器を保有していながらそれを使用することをためらってきたのは、愚かな実験に利用された、これらの人々の犠牲が、人類の負の行為のモデルケースとして語り継がれているからだと思う。 しかし、唯一の被爆国である日本が、その悲劇をアピールすることを忘れようとしているのは、嘆かわしいかぎりだ。 「アメリカの国民感情に配慮して」原爆展が中止されたことがあった。 確かに、自分たちの上の世代の罪は見たくないだろうな、と思う。 でも、それはアメリカ人だからどうとかいう問題じゃなくて、人間なら見ておくべきものだ。原爆は、愚かなる人間の罪なのだ。 58年前、人々は戦時中でも「暑いなあ」とブツブツ言いながら仕事をし、子供たちは遊んでいたのだろう。戦時中にだって、日常がないわけじゃない。 でも、彼らの未来は、自分の力ではどうしようもない大きな力で、閉ざされた。 「人間、自分の道は自分で切り開け」という考え方がある。 でも、アフリカで食料もなく飢えて死んでしまう赤ん坊は、どうやって自分の道を切り開くことができる? 原爆で未来を閉ざされた人々は、別に努力が足りなかったわけじゃないだろう? そういうふうに、理不尽に未来を閉ざされる、ということが、僕は怖くて仕方がないのだ。 もちろん、どんな生き方をしたって、その可能性はゼロじゃない。 それにしても、回避できるリスクは、回避したいのだ。 「被爆の語り部」となるべき人たちは、どんどん少なくなっていく。 当たり前だ、あれから58年も経ったのだから。 日本も核武装すべきだ、という人がいる。 平和公園の折鶴に火をつける人もいる。 僕たちは、何もしなければ平和だと思っている。 たぶん、そんなに甘いものじゃない。 戦争になったら真っ先に核シェルターに逃げるような人たちの言うことを信用しちゃダメだ。 ターミネ−ターは、僕たちを助けになんか来てくれないよ。 平和とは、戦いなのだと思う。 争いや功名心を求める自分の心との戦い。 僕は、「あなたたちが死んでくれたおかげで、戦争が早く終わってよかった」 なんて誰かに言われたくない。 それは、原爆によって命を落とした40万人の人々だって、きっとそうだと思う。 もう、戦後は終わった、確かにそうかもしれない。 でも、それはひょっとして、「また次の戦前になった」ということなのかもしれない。そんな気がする。 「ものわかりのいい日本人」っていうのは、バカにされてるんだって、どうしてみんな、気がついてくれないんだろう? ...
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