あるプロレスラーの死と臓器移植の裏側に。 - 2003年07月14日(月) 参照リンク「30万ドルの行方」(『D−POINT』の記事より) この記事を読んで、2000年の5月に亡くなられたプロレスラーのジャンボ鶴田さんのことを思い出してしまいました。 当時まだ49歳だった鶴田さんの突然死(しかも場所がフィリピン)について、僕は意外な念にとらわれたのですが、鶴田さんはB型肝炎による末期の肝不全で肝臓に癌もあり、厳しい状態にもかかわらず可能性を求めてフィリピンに渡航し、なんとか現地のドナーの肝臓の移植にまでこぎつけたもののドナーの肝臓と血管のサイズが合わずに亡くなられた、ということでした。 実際は、移植がうまくいっても、癌の転移などもあり、救命は難しかったらしいのですが。 このとき僕が思ったのは、「フィリピンという国では、そんな癌の転移もある患者さんに、肝臓移植をするのか…」ということでした。 本来、移植を受ける人の順番としては、「生命の危険が至近で、移植による救命の可能性が高い人」というのがリストの上位に上がってくるはずのものなので(生体肝移植では別)、ちょっと変だな、ということでした。 やはり、せっかくの臓器だから、それによって助かる可能性が高い人に移植すべきと考えるのが常識ではないでしょうか。 裏では、臓器ブローカーの存在なども囁かれていたものです。 結局、真相については、鶴田さんが亡くなられたということもあり、藪の中、なのですが。 でも、仮に「何か」があったとしても、「何をやってでも助かりたい」という人間の心境を一概には責められないのもまた事実。 子供の海外での移植手術のために、募金をしている話をよく耳にするのですが、あれだって、ある意味「日本人が、地元の子供たちの臓器を買いに来ている」と現地の人には思われているかもしれません。 今の「臓器不足」の状況では、誰かにその臓器が移植されれば、その臓器があれば助かったかもしれない命が存在していた可能性は非常に高いでしょう。 だからといって、もし自分自身や身内や子供がそういう状況にあれば、「金でどうにかできるのなら…」と考えるのは、全然おかしな考えではないわけで。 「金があれば、何でも許されるのか!」というのは、死に直面していない人間のキレイ事、なのかもしれませんね。 実際に悪質な臓器ブローカーが存在しているのはまちがいないようですが、それを利用してでも生きたい、という人間が後を立たないだろうなあ、とも思うのです。 だからこそ、何らかの「歯止め」をかけていかないと、おそらく事態は改善されることはないでしょうね。 しかし、いろいろ取り締まっても、けっきょく、「なんとか生きたい」という人間の欲望と貧困があるかぎり、地下に潜るだけで、悪質なブローカーは撲滅できないような気がします。 ...
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