僕がタバコ嫌いになった理由。 - 2003年06月17日(火) 僕はタバコを吸わない。 いや、吸ったことがない、とは言わない。 20歳そこそこのときだったか、解剖実習のときに、実習と部活のストレスから、タバコを吸う習慣を身につけようとしたことがある。 でも、結局、一週間もしないうちに止めてしまった。 あらゆる意味で、タバコは僕には向いていなかった。 まず、煙が苦手で、吸うと胃が痛くなった(もともと胃弱なのだ)。 それに、タバコとライターを持ち歩くのが面倒くさかった。 吸った後に、吸殻をどうしようかと困ることが多かった(やっぱり、その辺に投げ捨てるというのには、抵抗があったのだ)。 周りの人間が、嫌な顔をしないかと気にもなったし。少なくとも親は悲しんだだろう。 僕の両親には、喫煙習慣はなかったから。 そして、僕がタバコを吸い始めても、「止めてよ!」と心配してくれる女の子もいなかった。 タバコによって、リラックスするという人が多いのは、僕も知っている。 病院の食堂で、うまそうにタバコをふかすおじいさんをみていると、「やめろ」と言うのが忍びないくらいだ。 それに、「タバコによって、会話の『間』をとることができる」というメリットもよく聞かされる。 確かにそうだろう。なんとなく吸えたほうがよさそうだ。 女の子との会話に困って、「いい、おてんきですね」とか言って外してしまうよりは、黙ってタバコに火をつけたほうが、恋が芽生えそうな気もするじゃないか。 でも、結局、僕は喫煙習慣に向かなかったのだ。 まあ、職業柄吸わないのが当たり前というようなイメージなので(現実には吸っているひとは結構多い。それでも最近は激減してきているようだ)、助かっている部分もある。 酒も呑むしギャンプルも好む人間だから(「買う」に関しては、今のところは必要性を感じていない)、「タバコを吸うだけの人」よりは、はるかにタチが悪い人間のような気もするが。 ところで、僕は基本的に「タバコが苦手」なのだが、その原因のひとつに、「他人の吸った空気を吸わされる」というのがある。 もちろん、僕たちは空気を使いまわして生きているわけだが、隣に座ったオッサンが吐き出した空気なんて吸いたくないというのが人情ではあるまいか。 しかし、タバコの煙というのは、否応なく、その「誰かが吐き出した空気」を自分が吸っているという現実を明確に提示してくれる。イメージとしては、間接キスに近い。煙が向かってきたら、息を止めてみたりもするのだが、完璧にガードできているとも思えない。 もちろん、タバコの煙による色がついてなくても、僕たちは同じことをしているのだが、目に見えると、やっぱり嫌なものではないですか? というわけで、僕のタバコ嫌いは年々つのる一方で、パチンコ屋にも最近は長時間はいられなくなっているのです。 ああいう狭い空間でタバコを吸う人は、「自分の吐いた空気(しかも副流煙込み!)を他人に否応なく吸わせる」ということに対して、罪悪感はないのだろうか? ...
|
|