アクセスが多いというのは、幸せなことなのか? - 2003年06月09日(月) 「半熟ドクター・更新記録」6/7の「あくせくとアクセス」に寄せて。 御指名なので(苦笑)ここで言及してもいいですか? サイトの質とアクセス数というのは、必ずしも正比例ではないと思います。 と言いながらも、サイト持ちでアクセス数が全然気にならない人はいないと思うんですよね、実際のところ。 カウンター外しているサイトでも、アクセス解析がついていたり、もしくは勘定する必要性を感じないくらいの大きなサイトであったり。 「ものすごく質が高くて、面白い(もしくは役に立つ)」のに、誰も読んでくれないサイト(極論ですが、ユニークアクセスが0のサイト)というのがあったとしたら、それは、やっぱりあんまり意味がないものなのかなあ、と。 誰も読まない論文みたいなものですよね。 ベストセラーが必ずしも良作ではないにしても、全然売れていない本より良質なものの割合が高い、というのは、おそらく事実でしょうし。 やっぱり、こうして公開するからには、多くの人に読んでもらいたいなあ、と思いはするのです。 僕にとっては、カウンターを回すことそのものが目的ではないわけですが、やっぱり、アクセスが多いと嬉しい。 母集団が多ければ「面白い」と言ってくれる人も多くなるし、いろんなところからリアクションももらえます。 他のサイトに書き込みとかしても「読んでます」とか言ってもらえると、やっぱりいい気分だし。 そう感じる一方、気が滅入ることもあります。 メインサイトで、ほぼ毎日読書日記を書いているのですが、最近、ちょっと自分でも辛くなってきているのです。 最初は、自分が実際に読んだ本の中で、印象に残るフレーズを抜き出して、それに対する僕のコメントを書く、という体裁だったのですが、最近は、ニュースサイト化しているし。いや、時間が無いというのが本音なのですが、僕の中では不本意極まりない。しかしながら、僕が、自分が読んだ本の中で珠玉の(まあ、相でないときも多々あるにせよ)一言を選んだ、と思ったときよりも、時間がなくて苦し紛れにネットで探してきた芸能人の記事にコメントしたときのほうがアクセスが多かったりすると(もちろんこれには、検索エンジン経由というのもありますが)、軽い自己嫌悪に陥ったりもします(もちろん、アクセス多くてラッキー!と思っている自分もいるわけなのですが)。 僕がサイトを最初に作ったのは、当直のときの手持ち無沙汰を解消するためでした。それまでは、ROM専門だったのですが、自分でも何か書いてみよう、というような軽い気持ちで「さるさる日記」を借りて「当直日誌」を書き始めました。 とくに宣伝もしなかったし(というか、初期の頃の「当直日誌」は、まさに愚痴みたいなもので、危なくて宣伝なんかできたもんじゃありません)、アクセス数は、1年間で2000くらいだったでしょうか。一日平均5〜7くらい。 実際日記そのものも書いたり書かなかったりです。でも、そのころは「何かあったら書く」というので結構ストレス解消にはなってたんですよね。 その翌年の夏に、今度はサイトを開設したのですが、これがまた我ながらとんでもない代物で、一時期雑誌によく付いてきた「ホームページ・ビルダー」の体験版のサンプルをそのまま使ったものでした。 途中で「それはちょっと…」と思って背景画像に北海道の牧場の画像を入れたら、今度はあまりの重さにページが開くまでに10分くらいかかったり… どんどん本質から離れてきちゃったし、長くなったので、そういうプロセスの話はここで一時止めて。 まあ、いろいろあって(最大の要因は、「読書日記」がそれなりに好評だったことと、「テキストコンテスト」で望外に評価していただいたことなのですが)今、表サイトのほうは、「Read Me」のカウントで一日平均250くらいのアクセスがあります。人気サイトとは言えないまでも、いわゆる「中堅」だと言ってもいいくらいだと思われます。 少なくとも、面白いネタがあるわけでもなく、Hな画像があるわけでもなく、みんなが欲しがる情報があるわけでもなく、特別文章が上手なわけでもないサイトとしては、嬉しい誤算というべきでしょう。 もちろん、リンクしてくださっているサイトの方々なくしては、ありえないことなのですが。 その一方、さっき書いた更新することへの脅迫観念(というのは言い過ぎなんだろうけど)みたいなものもあるし、日記にしても、どんどん「書けないこと」が多くなってきました。 やっぱり、身内バレ、職場バレは怖いし、万が一そうなったときに、自分に災いが降りかかるようなことは書けない、のです。 臨床を離れているせいもありますが、患者さんのことを書くことは減りましたし、同僚の医師や病院についても書けなくなりました。 そこに残されたものは、ただ過剰な自意識と競馬ネタばっかり。 最近、競馬ネタなんか書いても、わからない人はわかんないだろうし、申し訳ないなあ、などと、感じるようにすらなりました。 それと同時に、じゃあ、これは誰のためのサイトなんだ、という疑問も。 こうやって文章を書くということは、僕にとっては今のところ最高の娯楽です。 でも、論文の追い込みに入ったり、たとえば自分の子供を風呂に入れる時間を惜しんで書くかという状況になったら、僕はたぶん論文を書き、子供を風呂に入れます。 僕にとってのサイトは、自分の表現欲を満足させてくれるものであると同時に、人生最高の寄り道みたいなものです。 三谷幸喜さんが、東京サンシャイン・ボーイズという劇団を主宰されていたときに、「『劇団としてのピークを過ぎた』と僕が思ってから、観客動員は劇的に増え始めた」と書かれていました。 意外と、そんなものなのかもしれませんね。 僕の場合、アクセスが増えてくるというのはとても嬉しかったし、「読まれている」と実感することは気持ちよかったです。 ただ、今では「何か書かなくては」と思いながらパソコンの前に向かっていることが多い。 もちろん、すぐに閉鎖しようと考えているわけでもありませんし、更新頻度を落として続けるという手もあるのでしょうが、僕の中では、サイトについては、もうこのくらいが限界かな、と感じてもいるのです。 最後に一言、この間某所で話していたんだけど、僕は「前衛的なサイト」ばっかりが善だとは思えないし、「一定の文章技術」なんてのも、僕にとっては、正直どうでもいいんですよ。読んで面白ければ、ね。 「難しく、バカにはわからないように書くのが技術」ならは、「難しいことをわかりやすく、易しく書くこと」のほうが、もっと「技術的」だと思うしね。 延々とまわりくどくて凝った情景描写をするのが「技術」だというなら、やってみせてもいいくらいです。ただ、僕はそれに価値を見出せないので、自分からやろうとは全然思いませんけどね。 僕は、ポップスやロックが好きなんですよ。 たとえみんなが、「今の時代はHIP−HOPだ!」と断言しようとしても。 もちろん、そっちが好きな人の存在は許容します。 僕も結果としてたくさんの人が観てくれると嬉しいけれど、観てもらうことを目的としたサイトにはしたくありません。 半熟さんが言われるように、僕にとってはサイト運営は「大好きな娯楽」ですから。 そこに、あんまり独善的な序列を持ち込んでもらいたくない。 一生懸命生きている人が、夜、パソコンに向かってフッと溜息をつく、そんなサイトが、僕は好きです。 ああ、半熟さんへの答えには、全然なってないみたい…ごめん。 ...
|
|