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■ 『99年の愛』を観て
久々の長編大作で好きな題材だったし、草なぎ君はかつて大ファンだったので(今は小渕さん1本です!) 絶対見逃すまいとTVにかじりついて、リアルで観ました! 橋田 壽賀子脚本はセリフ回しが不自然なので、あんまり好きではないんだけど、今回のはまずまず良かったですね〜
なんといってもシアトルが舞台になってるので、もう懐かしい気持ちで観てました。 故郷ではないけど、まるで故郷を見てるような気持ちで…
私が初めて海外を訪れたのは、アメリカ、テネシー州のナッシュビル。 高校時代の友達が結婚して、ここにいたので1週間ほど滞在させてもらって、英会話の授業をタダで!受けさせてもらっていました。 さすが移民の国だ!なんて思ったものでした。
次に滞在したのがシアトル。 看護学校在学中に、夏休みを利用して3週間の短期留学をしました。 全国の看護学生15名で、シアトル大学の学生寮に2週間とちょっといて、残りはイギリスからの移民の弁護士一家のところにホームステイして。
夏のシアトルは、ほんと涼しくて過ごしやすかったです。 21時まで、白々と明るいのにはビックリしましたけど。 昼間の時間が長くて、21時が日本の17時18時感覚で、ついつい活発に活動しちゃって、夜は毎日ヘトヘトでした。
シアトルに行って初めて知ったんだけど、神戸と姉妹都市になってるんですね。 日本人街とかあって、日本食レストランがあったり、日本の家電やら食品やら売ってる店も豊富で、食べる物にも困らなかったです。
シアトル大学の学食に飽きた私たちは、よくその日本人街に食べに行ったり、安い炊飯器を皆でお金を出し合って買って、それで数日ぶりのおにぎりと味噌汁を食べて、日本の味を噛みしめたもんでした。
その日本人街で、日系三世夫婦に出会いました。 5〜6ヶ月ぐらいの可愛い男の子を抱いていて、名前を聞いたら、それが『イチロー』って言うんですよ! 私たちは、『おお〜イチロー!』ってどよめいたけど、まだその頃は日本で活躍してたイチロー。
その夫婦キョトンとしてて、『イチローって、日本では大変有名なプロ野球選手なんだよ、同じ名前だから、きっとこの子も立派になるよ』なんて話してあげて、とても喜んでもらえたことを覚えてる。 その数年後にイチローがシアトル・マリナーズに入ったから、きっとあの時の日系三世家族、私らのこと思い出してくれてるだろうなぁ〜なんて想像して、にやけてました。
休日を利用してシアトル・マリナーズの試合も観に行ったけど、あのオーバーアクションの国アメリカで、お客さんたちが意外に静かなおとなしめの観戦をしてて、ビックリした! 甲子園球場の阪神戦を知ってる私としては、拍子抜け。
休日以外では何をしてたかというと、大学で英会話の授業と看護に関してのレクチャー。 そして、病院や施設の訪問です。 その中に、日系二世の人がつくったという老人施設があって、そこでいろいろ貴重なお話を聞かせてもらいました。
その施設は日本人じゃなくても入所できるんだけど、ほとんどが日系の人たちでした。 施設内には、仏教系とキリスト教系両方の部屋があり、そして、老人施設という割には、全然オシッコ臭さがない! あの独特の施設の臭い、それが皆無でした。 これには驚いた!
聞くと、尿にしても便にしても、排泄したら時間も関係なく、すぐに換えてくれて、しかもその排泄物はすぐにどこかに片付けられるらしい。 なので、居室にしても廊下にしても、全然臭わないんです! 日本だと病院・施設って、まず間違いなく、排泄物と消毒薬の臭いがするもんだけど、そういうのが全然なくて、カルチャーショック! ほんと理想的な施設だと思いました。
それに、もう一つ驚いたのは食事。 24時間、食べたい時に食べたい物を、ほぼいつでも食べれるらしい。 昼夜逆転してようが、たった一人の食事だろうが、食べたいと思った時に食べさせてもらえるらしい。 まず日本じゃ考えられない!
食事の時間も、オムツ交換の時間も、起きる時間も、寝る時間も全て画一的に決められている日本とは大違い! 糖尿病の人はどうするの?とか、認知症で四六時中食べたがる人はどうするの?という疑問が沸き起こったけど、それはそれで、ちゃんと管理してくれる人もいるようだけど、日本ほど個人の自由が阻害されることはないみたい。
だから、入居者の人たち皆、穏やかな顔してたなぁ〜 まずスタッフが、入居者を怒ったり、たしなめたりってなかったもんね。 日本はそういった点では、年取ると大変ですよ。 身体の不自由に加え、何から何まで自由が奪われてしまいます。
今、私も訪問看護の仕事してて、そういう施設も回っているけど、ほんと可哀想なぐらい、いろんなものを奪われた不自由な暮らしをさせられてる。 見てて、ほんと切なくなる。 ごめんねと心の中で思いながら、私はバイタル測って、お話を聞いてあげるしかできない。
なんで日本って、こんなだろう? 年取っても人なのに、まるでベルトコンベアーを流れてる機械のように扱われる。 尊厳が奪われる。
身体が悪くなったから、機能が衰えたから、ボケたから、家族の負担になるから、スタッフが少ないからと、自分の孫ぐらいの人に子ども扱いされながら、怒られながら、世話をしてもらって… 自分がその身になってみ、どう思う?って問いたくなる。
スタッフの中には高齢の入居者に対して、親しみを込めて、○○ちゃんと愛称で呼ぶことが多い。 1人がそう呼び出すと、ほとんどのスタッフがその愛称で呼び始める。 本人はそう呼ばれて、どう思ってるかわからないけど、本人の前でもその愛称で呼ぶんだよね。
それはそれで、機械的な介護ではなく、愛情を持って介護してるという感じに見えなくもないんだけど、私はどうも、そのやり方に違和感があって、学生の頃から、○○ちゃんという愛称では呼んだことがない。 周囲みんなが愛称で呼び、申し送りも愛称で行っていても、私1人、○○さんと呼ぶ。 スタッフからは怪訝な顔で見られるんだけど、意地ではなくて、どうしても愛称で呼ぶことに抵抗があって、私はそうしてる。
お世話はしてても、あくまで目上の人であって、自分の家族でもないし友達でもないし、親しくなって敬語が多少崩れても、それでも名前だけはちゃんと○○さんと呼びたくて…
随分と話が横道に逸れてしまいましたが、その老人施設で私たち学生は浴衣を持ってきてる子はそれを着て、日本の歌、『ふるさと』とか日本の歌をいくつか歌って、一緒に折り紙をしたり、交流をさせてもらいました。 皆さん泣いてたね、『日本の歌を久しぶりに聴いた、日本を思い出した』って。
アメリカで苦労して、帰りたくても帰れなかった日系の人たちがたくさんいた。 『99年の愛』を観て、あの人たちのことを思い出したよ。
たった3週間のことだったけど、まだまだ語り足りないぐらい貴重な経験をさせてもらいました。 また書きたくなったら書くけど、シアトルではずっとココに居たいって思えるぐらい楽しく、日系人によく間違われてたしね、私。 ほとんど、いい思い出しかない。 日本人学生、日本人教官との付き合いの窮屈さ以外はね。
子ども達の手が離れたら、海外で暮らしてみるのもいいかもね。 あの施設だったら、全然日本じゃなくてもいいしね…なんてね。
2010年11月08日(月)
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