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ナウシカ



 虐待後遺症からの「回復」とは何か

『拡がりゆく魂〜虐待後遺症からの「回復」とは何か』 穂積純著を今読んでいる。
この手の本はもう卒業したと思っていたんだけど、いざ読み進めてみると、まだまだ気づかされることが多い。
全部読んでから感想を書こうと思ったんだけど、半分弱読んで書きたくなった。

Amazonには、このように内容が紹介されている。

<心の底深く刻まれた幼年期の性虐待による後遺症。
生きづらさの果てにそれに気づき、虚無と絶望の中で20年を歩み、ついに獲得した「回復」。
自己省察を重ね体験に基づいて「回復」の全体像を解き明かす初めての本。 >

著者は前々作で『解き放たれる魂〜性虐待の後遺症を生きぬいて』を書いていて、内容は以下になっている。

<性虐待による後遺症を理由に、この国で初めて勝ち取った「改氏名」。
99%不可能といわれたその闘いを軸に、阪神大震災や、同じ痛みをもつ人たちとの出会いの中で、自己の尊厳を取り戻していった回復へのプロセスを、鮮烈な色彩で描いた魂のドラマ。>

私が読んでいる『拡がりゆく魂』は4作目に当たる。

被虐待者である著者が、性的虐待を受けていた相手は実兄だった。
しかも幼い頃に。
この本の中では、正式に実兄の謝罪と10年休むことなくお金の送金があると書かれている。
著者の実母や実姉からも、現在では著者への支援があるらしい。

本の中にこうあった。

「怒りや憎しみは何も生まないとか、許すことを学びなさいと言う人もいる。
怒りも憎しみも知らなかった時、私には混乱と苦しみだけがあった。
許そうと私が死に物狂いの努力していた時、彼らは私を見ようともしなかった。

それに絶望してはじめて、きちんと怒りきちんと憎むことを学んだ。
九九パーセント不可能といわれた裁判で姓名さえ変えた、家族を捨てるために。
心から怒り、真剣に憎み、きちんと捨て去ることで、家族が私にとってはじめて健全な形で成立した。

姉や『兄』は自ら変わったのではない、私の闘いが彼らを変えたのだ」

ここを読んだ時、なんかストンとパーツがハマる感じがあった。
なるほど、そうかと。

確かに私も苦しかったな、許すも何ももういいやんと家族のために努力してた頃。
苦しみの限界が達した時、病気になって、もういいやんでは済まされなくなって、ちゃんと悲しむ、ちゃんと絶望する、ちゃんと怒る、ちゃんと憎むということを、自分の心で感じるようになって、そこから苦しみはただの苦しみではなくなって、回復するための苦しみになった。

ただ著者と私との違いは、直接その相手にぶつけることができていないこと。
頭の中では何度も、夢の中では何度も、こういった書く場では何度も何度も、溜まりに溜まった思いの丈をぶつけていたけど、面と向かっては何も言えなかった。
拒否するだけで精一杯。

何か言ってやろうと思っても、今まで聞いてもらえなかった前例がたくさんあり、それを思うと、どっと疲れと絶望が先に立ち、何も言えなくなってしまうのだ。
そして、咽元まで来ている言葉はそこで止まってしまって、心の奥深くに溜まっていく。

家族が健全になるはずもないか、私自身も…
それとやっかいなのは、他のことでもちゃんと自分の気持ちを健全に表せていないこと。
思わず噴出することもあるんだけど、それも不完全に感情という意識がどこかに飛んでしまって出せはしない。

そうして諦めてしまって、処理されない思いが自分の中に降り積もっていく。
どうしたもんかね…


2008年06月15日(日)
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