裏庭

クリスマスも誕生日も、気の知れた人たちと過ごすその理由。
2002年07月30日(火)

8月19日の月曜日に、富士急ハイランドへ行かないかと、
職場で隣の席に座るaさんに誘われたのは先週のことだ。
その翌日が葉の誕生日で、「前祝いでどう?」と冗談めいて声を
かけてくれたのだ。例えそれがついででも、うれしい。

今日、帰り際にその話題を別の人から触れられたとき、
そんなついでのような話をすると、(「前祝い」と言ったあとに、
私が異様なまでに照れたのが一瞬誤解を招いた模様。結婚じゃないです)
その人は「職場の人に祝って貰ってうれしいんですか?」と、
ちょっと信じられないという感じで尋ねてきた。
素直に応えるのがちょっと恥ずかしかったけれど、それでも頷いたら
「その年で、特定の人と過ごすならともかく、職場の人ですよ?」
確かに、今年の8月20日で26歳になる。けれど、特定の誰かと
付き合ってはいないし、今までを振り返ってみると、
おつき合いした人が数少ないけれど、付き合っている人と
過ごした誕生日は一度もないことに気付く。去年は、
町にある、日守山という山へ犬と登ったっけ。頂上に覗き放題の双眼鏡が
あるのだと聞き、きっと自分の家が見えるにちがいない!と
意気込んで登った。自分の家は勿論、出身中学校も見えたり、
よく行く本屋さんが見えたりと、新しい発見ができて何だかどきどきした。

「さびしくないんですか?」
思わず、返す言葉が喉まで出かかって、直後にぐっとセリフを飲みこんだ。
さびしさよりも、誕生日をどんな人たちと過ごしたかが問題なのです。
2年後、もしその人と悲しい別れ方をしたとしたら、きっと
いくつになっても、誕生日が来る度にその悲しみがぶわっと
込み上げてくるんじゃないかと、不安になってしまうのだ。
だったら、悲しい思い出になることがない、ともだちと一緒に過ごした方が
褪せることもなく、とっておけるんじゃないかと思う。
二人きりで過ごして別れてしまったら、きっと1人でその思い出を
ずるずると肩にこびりつかせたままだろう、そんなんやったら、
たくさんの人と過ごせたらええやん、と。

家族という(と仮定します)これからがある
人たちに囲まれて誕生日を迎える人たち。
きっと、比べたらしゃぼんのような誕生日になるであろう、
自分の26歳がひとつきもしないうちにやってくる。
思い出に取り残されずに済む、確実堅実な誕生日になる。


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