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2024年09月02日(月) 蒼天抗露 (3日目 ビリニウス)

 ホテルでの朝食(バイキング形式)後、ツアーバス集合。

 バスに乗り、新市街中心部近くの桜公園を案内される。杉原千畝の功績を讃え、川沿いに多くの桜が植樹され、記念碑が立つ。只、今回の添乗員氏、少々斜に構えてひねくれたところのある人物で、「ヨーロッパ人は内心、邪魔なユダヤ人にいなくなって欲しかった。ナチスのせいでユダヤ人が街から消えて、しかもその悪行は全部ナチスのせいということになって、自分達は汚名をかぶることなく「始末」できてせいせいしているというのが内緒の本音。だから実は明日行く記念館もそうだけど、地元民は杉原千畝のことは、今のように有名になるまではあまり関心がなかった」

 この公園の少し背後の高層ビルの最上階に、ウクライナ旗と、「プーチンよ、ハーグ(の国際裁判所)は待っている」とのメッセージが掲げられていて、そのことは以前新聞記事で読んで知っている。添乗員氏もそのことに触れながらも、露宇戦争についてはかなり冷めた目で捉えている印象。今日はリトアニア人現地ガイドも同行しているのだが彼は逆に熱心なウクライナ支援者。私のザックに貼り付けてあるNAFO(脚注1)ステッカーを喜んでくれ、「俺は毎月ドローンのための寄付を続けている」と語ってくれた。そんな彼、英語でロシアがいかに非道かを熱心に添乗員氏に語るのだが、添乗員氏は全部を翻訳しない。現地ガイド氏の口からチェチェン〜という単語が出てきたが、添乗員氏から、それはしゃべらなくていいからと遮られ、訳が語られることはなかった。現地ガイド氏は何を伝えようとしたのだろう?今、カディロフの下でプーチンの飼い犬のようになっているチェチェンだが、そうなる前は、実はプーチン自作自演と言われるアパート爆破事件をチェチェン過激派の犯行に決めつけられた挙句、首都を瓦礫にされたりしている。普通の観光客がリトアニアに来て、かつてのロシアのチェチェンでの悪行の話を聞かされても確かに当惑するだろうことは想像に難くないが、私は、彼が話そうとして遮られた続きを聞きたかった。

 聖ペテロ・パウロ教会という教会に到着。入口脇に白黒の大きな写真が掲げられており、今、真の前にあるのは再建されたもので、写真にあるオリジナルはソ連支配下の宗教禁止政策で破壊されたことを知る。

 ペテロ・パウロと言われてもキリスト教における聖人ということ以外知識のない我々に添乗員氏は、「分かりやすく言うと、ペテロは観音様、パウロは風神雷神といった存在ですね。」うん分かりやすい。風神雷神は不動明王と言い換えてもいいかも。

 バスが通れる広い道を選んで市内中心部の広場に到着。この都市の礎となったゲティミナス王(脚注2)のかっこいい像が立つ。添乗員氏は石畳の一角にはめ込まれた、マンホール程の大きさの標識を案内。それは当時まだ10代だった私に、希望の21世紀を予感させてくれた「人間の鎖」の起点を示している。標識の上で3回回って願い事をすると叶うとの談で、ウクライナ勝利を願って3回回った。

 大聖堂の前の石段には、コップを手に持って座り込み、絶え間なく前を通り過ぎる人々に頭を下げる物乞いがいた。見た感じそんなに年寄りでもなく、その気になれば働けそう。単独のようだが得てしてこうした輩はペアになっていて、施しをしようと小銭を出そうとした隙に人々に紛れているもう一人の実行犯がスリに及ぶという事例を聞くので、見なかったことにして建物に入る。

 見上げる天井、壁を飾る像や絵画。それはそれで想定内の範囲で素晴らしいが、ここで想定外のものを発見。なんと「キリストの手の骨の一部と伝わるもの」がガラスのケースの入って展示されていた。まさしくこれはキリスト教版「仏舎利」ではないか。聖書ではキリストは「生き返って天に昇っていった」と書かれているから、論理的に考えれば遺骨の存在それ自体が聖書の記述を否定していることになる。本家「仏舎利」も、世界中からそれと伝わるものを全部集めると象一体分程になってしまうと言われており怪しいものだが、結局、信じる神がなんであろうと人間というものは、こうした「遺物」を、作り出してでも有難がってしまうものらしい。

 次に旧市街地を訪れる。車両通行禁止の石畳の道に多くの飲食店が並ぶ。添乗員氏の話では、コロナ前はお土産屋が多かったが、全部潰れてしまったとのこと。ツアーで予定されていたレストランに入る。地下に案内される。昔はワイン蔵か何かに使っていたのだろうか?地上部分よりも地下の方が広く見える。もしかしたら、天井の上は店ではなく石畳の道なのかもしれない。前菜のサラダに続き、ツェペリナイ(リトアニア風水餃子)が供される。水餃子のクリーム煮込み。嫌じゃないけど、水餃子は透き通ったあっさりしたスープの方がいいね。


 さて、食事の後は、オプションツアー組と自由行動組に分かれ、オプションツアー組は、添乗員氏とともに郊外のトラカイ城へ。トラカイ城は以前(10年くらい前)テレビの旅行番組で見た。堀と石垣で囲まれた、世界のどこにでもあるありふれた城。別に見る程のものではない。同席した英語達者で旅行前の下調べも万全というパワフル定年退職者を中心とする3人についていく。パワフル定年退職者が向かったのは、この国の最高学府ビリニュス大学。部外者でも構内に入れる。ガイドブック「地球の歩き方」に乗っていた壁画・天井画を見るが、自分的には「?」という感想。古い資料と当時の室内装飾が施された部屋も見たが、これも「ふーん」という感想。構内にたまたま日本人学生がいて、同行者の誰かが話しかけたところ、「日本人がいない環境で勉強したくて、英語で受験して入学しました」とのこと。偉い。

 次に向かったのは「リトアニアにおけるホロコースト記念館」パワフル定年退職者の話では、事前に休館日ではないことを確認したはずだったのだが、入口の扉には「臨時休館日」を意味する張り紙。扉にはウクライナ支援を意味しているであろう張り紙があったのでそれを記念に撮って退散。

 次どこに行こうかという話になり、ゲティミナス王の砦に行くことになる。砦は60メートル程の丘の上に立っており、麓から上まで傾斜エレベーターが通じているのだが、それもたまたま運休日。上まで行くのは諦めようという者もいたが、結局4人そろって歩いて登ることに。砦へと続く歩きにくい石段、以前夢で見たような気がする。もしかしてこの砦に来たのは必然?ゲティミナス王、俺を呼んだ?

 山頂にこぶのように立つ石づくりの見張り台は、傾斜エレベーターと同様、定休日のようで中に入れなかったが、砦の石垣の上からの眺めは良く、何枚も写真を撮った。

 さて、この時点で既に3時半。パワフル定年退職者に今までの礼を言って別れ、一人丘を下りバス停へ。何としても見に行くべき場所に足を運ばなければ。

 しばらくバスを待っていたが諦めて歩くことにする。地図を頼りに川沿いをひたすら歩き、その後庭付き住宅街のような場所を歩くこと1時間半。もう諦めてホテルに戻ろうかという時になって、公園の向こうに見覚えのある横断幕が見えた。辺りにはベンチに座る一組の男女がいるだけの場所。
 
 露大使館前の狭い道路に、2022年以降ビリニュス市は「ウクライナ英雄通り」と名付け、辺りには抗議の横断幕やプラカードが貼られた。ただ、この場所自体が都心から離れた不便な場所にあるせいか、リアルタイムで抗議に訪れている人はおらず、また、かつて報道やネットで見たときと、風景そのものは変わらない。撤去こそされていないものの、見た感じ、新しいプラカードはなく、色褪せたり、下を向いてしまっている状態。「血の池」も撮影。ただの大き目の池なのだが、2年前、露への抗議として、食紅で赤い色に染めたことがニュースで報じられた池。今ではただの池に戻り、静かで波紋ひとつない。

 さて、時間がないので写真を撮り終わると早々に現場を後にする。ホテルまで直線距離で5〜6キロ。郊外行きで本数が限られている行きと違い、帰りは中央駅に向かうバスに乗りさえすればいいのでバスの本数は多い。一本目の前で逃したが、幸い10分後に次のバスが来た。実は、「地球の歩き方」には、「バスに乗るには事前にバスカードを買って車内でセンサーにタッチする。カードを持っていない場合は現金で2ユーロ」と記されており、乗車後、ワンマン運転手のところに行って英語で声をかけ、2ユーロを渡そうとしたが、運転手は難しい顔をして首を横に振るばかりで現金を受け取ってくれない。そもそも現金を入れるための料金箱すらバスの中にない。中央駅でバスを降りる際に再度運転手に、2ユーロを見せつつ現金しか持っていないと言ったがまたしても顔を横に振るだけ。無賃乗車になるが、諦めてそのまま降りた。

 中央駅前から走ったが、集合時間6分遅れでホテル前に到着。添乗員氏は、集合時間に遅れたら置いていきますよとツアーの始めに全員に言っており、覚悟していたが、幸いまだ待ってくれていた。添乗員とツアー参加者に詫びて、ツアーバスで夕飯会場へ。

 まるで微細な氷が中に入っているような舌ざわりのビールが美味かった。
 
食後にお茶かコーヒーか選択できて、さらにお茶は紅茶か緑茶か選べるとのこと。ただ、添乗員氏曰く、「緑茶」は日本人が考える緑茶とは違いますとのこと。気になって緑茶を選択。緑色に茶色を混ぜたような濁ったお茶がカップに入って供された。

 味は、「もし日本でこのお茶が売られていたら、多分同じお茶は二度と買わない」



(脚注1)NAFO
ナフォーと読む。ウクライナ支援のためにいろいろな国から素人が集まって自然発生的にできた支援団体。(ステッカーはなにがしかの寄付をするともらえる。)


(脚注2)ゲティミナス王
 日本で言うと、鎌倉時代〜室町時代の間くらいの年代。この王の時にリトアニアはキリスト教受容。ネット上でこの王のことを調べると、受容の過程が面白い。これこれをしてくれたら洗礼する→不都合なことが起こったから洗礼の予定は延期する。
 こんなことを何回か繰り返したらしい。誰かに似ているな、誰だったっけと思って記憶を手繰り寄せたら、戦国大名の「大友宗麟」を思い出した。テレビ番組で、宣教師から「大砲」「硝煙」といった、戦国時代を生き抜くための軍需物資を手に入れるための「交渉カード」として、「洗礼するする詐欺」を何度も繰り返したとされる。最終的にカードを切って洗礼したけど、それまでに何年も(ひょっとすると10年以上)かかっている。

多分、ゲティミナス王も、キリスト教受容がもたらすプラスの面とマイナスの面を冷静に天秤にかけた上で、自分とその国が最大限利益を得られるように、最善のタイミングで有効にカードを切ったのだろう。



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