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2008年08月27日(水) 北京五輪2008―共産党一党独裁下の競技 (書評)

独裁体制下における「平和の祭典」の全貌

共産党一党独裁下の北京で開催されたオリンピックが「大規模な国際ショー」として、プロパガンダ利用されたことはよく知られている。本書は、各国の思惑とボイコット運動、チベット人やウイグル人への弾圧、各競技の様子など、最新資料と様々なエピソードを網羅した、興趣尽きない現代史。
当時は、胡錦濤政権のチベット人弾圧に抗議して、世界各国を回った聖火リレーに対する激烈なボイコット運動が起きた。しかし中国は現地の中国人を動員し、数多くの旗を立て、あたかも各国で聖火が多くの人々に歓迎されているかのような工作をした。また、ロゲ会長らIOC役員らが接待を受けた結果、彼等は中国の人権弾圧に対し何も抗議せず、事実上黙認することとなった。その裏で、外国の目を避けるため、政治や役人の腐敗に不満を持つ、地方から集まった直訴者は「当局指定デモ会場」に隔離された上、デモは許可されずに逮捕された。
こうした経緯を経て開催された大会の開会式では、林妙可というスターを生み出すが、実は彼女は口パクで、実際は楊沛宜という別の少女が歌っていたという。中国共産党のある幹部は、国家の前では、国民など部品に過ぎないと豪語していたという・・・。
ほかにも、五輪開催に抗議して、聖火を採火したギリシャのオリンピアの会場で非公認の「チベタン・オリンピック」を開催した逸話や、聖火リレーに抗議して聖火リレーにあわせて「人権聖火」が世界を回った話、開会式での「国内56民族によるショー」を演じた少女らが実は全員漢民族だったという仰天の事実、聖火リレー記録映像『和階(調和)の旅』の奮闘にも一章が割かれる。
「スポーツと政治」の癒着が歴史的に検証されたが、前世紀のベルリンオリンピックではどうだっただろうか?


「ベルリン・オリンピック1936 ナチの競技」
書評

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF1936%E2%80%95%E3%83%8A%E3%83%81%E3%81%AE%E7%AB%B6%E6%8A%80-%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8/dp/4560031886


(以下引用↓)
独裁体制下における「平和の祭典」の全貌

ナチ政権下のベルリンで開催されたオリンピックが「大規模な国際ショー」として、プロパガンダ利用されたことはよく知られている。本書は、各国の思惑とボイコット運動、ユダヤ人や黒人への迫害、各競技の様子など、新資料と様々なエピソードを網羅した、興趣尽きない現代史。
当時は、ナチのユダヤ人迫害に抗議して大きなボイコット運動が起きた。しかしナチは迫害を一時中止し、反ナチとして焚書に指定した本を書店に並べるなどの工作をした。また、リンドバーグら英米の著名人が接待を受けた結果、ナチ賛美を唱えることとなった。その裏で、外国の目を避けるため、娼婦や同性愛者、浮浪者やジプシーなどは隔離され、収容所に入れられた。
こうした経緯を経て開催された大会は、アメリカの黒人短距離選手オーエンスというスターを生み出すが、ヒトラーは祝福することがなかったという。独裁者は、世界征服の暁には、白人のみのオリンピック開催を夢見ていたという......。
ほかにも、マラソン優勝の「日本代表」選手孫基禎は母国朝鮮のために走ったとインタビューに語った顛末、白人選手が選手村でセックス・パートナーを提供され、妊娠したら国家が面倒を見るという仰天の事実、記録映画『オリンピア』の監督リーフェンシュタールの奮闘にも一章が割かれる。「スポーツと政治」の癒着が歴史的に検証されるが、今世紀はどうだろうか?


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