思うこと
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この問題が再燃したのは、昨年夏のことである。(米議会などで中・韓系議員の働きかけなどによりこれに関する日本非難の決議が出されたとのニュースが昨年夏、流された。)書こう書こうと思っていたが、いざ書こうとすると意外と筆が進まない。感情論ではなく論理的文章を書こうとするのでなおさらそうだ。タイムリーではなくなってしまったが、この問題は今までに何度となく蒸し返されていることなので、またいつか再燃するだろうから書いておく。
慰安婦はいたのか 「従軍慰安婦などいなかった」論者の言う「被害妄想では」との推論についてだが、被害に遭ってもいないのに、「私は犯されました」とわざわざ名乗り出る者などいるだろうか?「回された」ことが親族に知られただけで、「親族一同の恥」とされ、勘当された者もあったと聞く。だから、被害女性が主張するような行為が行われたことは事実とみていい。また、中には、開き直りの反論として、「喜んでいたのはどっちだ」という声もあるが、これなどについては、論外としか言いようがない。強姦罪で逮捕された男の言い訳と同レベルである。
日本軍だけが破廉恥なのか 実は日本軍に限らず、そもそも軍隊にとって、従軍慰安婦は必須の存在らしい。従軍慰安婦制度が始まる前近代の軍隊は、占領した町で婦女子を強姦するのが常だったが、それでは占領地の人心が得られないことから、近代ヨーロッパで制度化され、日本軍も取り入れたというわけである。(ただ、第一次大戦時の英国は例外で、女性の代わりに家畜で済ませていて、当時の日本軍にも獣姦を勧めたという記録が残っている。むしろこちらの方がおぞましい。いずれにしても、戦場という、明日は命がないかもしれないという極限状態で、男という生き物は、死んでしまう前に、自分の遺伝子を残さなければという本能が働くのであろう。)
ここまでのまとめ ここまでで確認したことは、今まで、「戦時中、日本軍に対して性的サービスを提供させてれていた女性がいた」ことは、被害者を名乗る女性の証言からして事実と考えられる。 ただし、日本軍が他国の軍隊と違って破廉恥な組織だったわけではなく、従軍慰安婦の存在は、占領地での兵士の勝手な強姦を防ぐための歯止めとして普遍的なものであった。そうすると、慰安婦がいたこと自体が問題なのではなく、慰安婦の集め方に問題があったかどうか(強制だったのか自発的だったのか)という点を次の議論の焦点としたい。
どのように慰安婦が集められたのか 問題となるのは、どのように慰安婦が集められたのかというプロセスである。「強制連行」はあったのかということである。 国家や軍による人狩りのような形で行われたのであれば、米議会での決議通りということになる。 米議会での決議では、従軍慰安婦は「sex slave」(性奴隷)と表記されている。これでは日本は誤解される。アフリカでの「奴隷狩り」を想起させるからだ。アフリカでの奴隷狩りの場合、村に放火して、慌てて家から飛び出してきた村人を片っ端から捕獲といった方法が取られた。勿論、武器を持って抵抗する者がいたら即射殺。数十年前の日本軍が、朝鮮半島でこんな乱暴な「奴隷狩り」を行った記録はない。被害者自身もさすがに、「家に火をつけられて逃げ出したところを捕えられた」なんてことは誰も言っていない。 実際、どのような形で彼女が集められたのかをちょっと調べてみると、意外な事実に突き当たる。「募集」。そう、「狩り集められた」のでも「強制された」訳でもないのだ。要は、風俗バイトの女の子の募集と同じなのだ。募集の主体は日本軍そのものではなく、軍の委託を受けて、実際には村などの自治体が行なった。 現代のバイト雑誌のどれを見ても、仕事内容の説明に、「お客様との性行為です」なんてことは書かれていない。当たり前だ。そんなことは異様に高い時給や、店舗の名前などから推測すべきものなのだ。そして当時もこれは同じだっただろう。むしろ、戦後の方が性的にオープンになっている分、現代なら、面接に行けば率直に「実は仕事はお客様との行為なんです」と素直に教えてくれるだろうが、戦前なら「慰安」って具体的にどんな仕事をするんですか?と役場の担当者に聞いたとしても、「性行為をするんです」などとは決して教えてくれなかっただろう。
今風に言えば、彼女達の多くは、言わば悪徳商法の餌食になったと言える。冷たく言えば、「自己責任」、しかし、彼女達とその親世代に、募集広告の行間を読むだけの、資本主義社会での知識と経験が欠けていたことを考慮に入れるならば、彼女達には同情すべきである。
元慰安婦の中には、強制連行されたと証言している者もいるが、これは、村ごとの募集目標に応募者が足りないような時に、何とか上からのノルマを達成しようと、役場の職員(これは日本人とは限らない)が、本人の同意を得ないままに頭数を「確保」したこともあったのだろう。明治時代の「女工哀史」の舞台となった製糸工場の要員確保の場合と構図は同じである。それは軍だけが悪いのではなく、村別に何人と募集人員を割り当てた軍と、上(軍)にいい顔をしようと、無理をしてまで頭数をそろえようとした村の役人との双方にあるのではないだろうか。
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