蜜白玉のひとりごと
もくじ|かこ|みらい
今回の手術でお見舞いをいただいた方々へお返しをする。お見舞いのお返しは快気祝というやつだけれど、はっきり言ってまだまだ全然治ったって感じではないので、「快」だの「祝」だの印刷されたのしはつけなかった。その代わりに、お返しの品と一緒に手紙を書いたり、電話をしたり、会って話したりした。この方が自分の気持ちにしっくりくる。老人ホーム(他の呼称はないものか、施設ってのも変だし)で暮らしている祖母からも、おばを経由してお見舞いをもらった。こちらが祖母の身を案じることはあっても、まさか祖母から心配されるような事態になるとは思ってもみず、立場の逆転が情けなく、それでも祖母の気持ちが素直にうれしかったのもまた確か。
祖母へのお返しはいちばん迷った。祖母はだいぶ前から目が見えない。脚が不自由で歩けない。一日のほとんどをベッド上で過ごし、かろうじて食事の時間は車椅子で食堂へ連れ行かれる。認知症もある。おばによると、祖母の話は現実と想像と思い出がごちゃ混ぜだそうだ。喘息も高血圧も糖尿もある。それらの薬を飲んでいる副作用で全身がかゆい。それでかゆみ止めを飲んだり塗ったりしている。満身創痍だ。果たしてこの祖母に何を送ったらいいのか。何の考えも浮かばずおばに相談すると、身の回りのものは一通りそろっているし、こだわりが強いから、これは爪が引っ掛かるだのなんだの、難しいのよね、そういえばこの前、以前から家にあった犬のぬいぐるみを持ってきてくれって言われて、今はベッドの枕元に置いてときどき抱っこしたりしているのよ、と。
それ、1体増やしていいですか?
あら、そうお?いいの?おばが明るい返事をくれたので即決する。手触りのいいぬいぐるみなら当てがある。姪(祖母からみればひ孫)が持っている最高にふわふわのくまのぬいぐるみをすぐさまAmazonで注文した。まずはいったん自宅に届けてもらい、手触りを確かめ手紙を添えてラッピングしておばの家に送り、おばからホームに届けてもらった。週末、そのおばから電話があった。
もうこんなにかわいくてふわふわの、ありがとう。今おばあちゃんに代わりますね。祖母と電話で話すのは何年振りだろうか。
「もしもし?○○ちゃん?(私のこと) あらまあ、くまちゃんをありがとう。こんなにかわいいのをいただいてどうしたらいいのかしらね。○○ちゃんのはあるの?もらっちゃっていいの?寂しかったら送り返そうか?」
祖母としゃべっている私は何歳なのだろうか。私もおそろいのを持っていると言ってなだめる(実際持っている、小さいのだけど)。その後はいい声になっただの、旦那さんは風邪ひいてないか(あら、ちゃんとわかってる)だの、電話口の祖母は声に張りがあって、言葉もよどみなくすいすい出て、想像より元気で圧倒された。実は祖母がホームに入ってから一度も会いに行っていない。ちょうどその頃は父(祖母からみれば息子)の介護で精一杯で、父が亡くなってからは一人になった病気がちの母を見守り、うちの近所に引っ越しさせて、その空家を売ってと、ずっと難題続きだった。会いに行くと言ってなかなか果たせないことを詫びる私に、祖母は言う。
「来なくていいのよ。私は96歳ですけどね、まだここで生きてますから。そんなに慌てて来なくても大丈夫。ちゃんと休んでしっかり治しなさいね。人ごみには出ちゃだめよ。」
わからない様子をしながら、本当のところは全部わかっているんだ。私を励まそうとする祖母の殊勝な言葉に泣きそうになる。ホームは遠い。行ったら一日がかりだ。今は特に体力的につらい。あなたもおばあちゃんと同じ歳まで生きるのよ、とさらに追い討ちをかけられるように言われ、いったい何の話をしているのだか。それはどうだろうねえ、難しいかもねえ、と返しながら祖母の長い長い人生を思う。私の知っている話、知らない話。現実と想像と思い出がごちゃ混ぜでもいいから、今度ゆっくり聞かなくては。
|