蜜白玉のひとりごと
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こんなにも迷い苛立ち、自分のあり方に戸惑うのは状況の複雑さに加えて、私にとってのお手本が見つからないせいでもあることに気づく。実家からの帰り、駅で新幹線を待つ間に立ち寄った本屋で、雑誌をめくりながらふと思い至った。
今までは、なりたい自分に近い人を探して、もしくは何となくいつの間にか見つけて、その人の書いた文章や語った言葉を胸に刻むようにしてきた。それらは折り折り私を勇気づけたり、軌道修正してくれたり、力となった。
それが親の介護については、私や妹のような年齢で、選択の余地なく介護生活にどっぷり浸かってしまった人を今のところ私は知らない。いないとは言わない。そういう人の話を聞かないのだ。
両親くらいの年齢の人達が彼らの親を看ていたり、夫婦で互いに看ていたりするのはよく聞く。でもそれは残念ながら私にとってのお手本にはならない。そこにある悩みは彼らの年齢や境遇ならではのものだからだ。もっと言えば、病気や家族構成や自治体によっても違ってくるはずで、言ったところで仕方がないが、なかなか自分にとってのお手本を見つけるのは難しい。
大事なことは何ひとつ決められず、仕事も出産も結婚も脇へ避けなければ成り立たない介護ってなんだろう。もはやこれは悩みや愚痴を通り越して、ただの疑問である。もし似た境遇の人がいるとして、その人たちはこれをどう咀嚼したのだろうか。
そんなことを新幹線の座席に埋まってつらつらと考えていたら、2年前に病院側と家族との話し合いの席で、父の主治医(当時)に、結婚はしているのか、子どもはいるのかと尋ねられ、この介護生活でお子さんは無理です、と言われたのを思い出した。今考えても、すごく破壊力のある言葉だったと思う。そのときは、はい、わかってます、としか返事ができなかった。おっしゃる意味がよくわかりませんが?とか、言ってやればよかった。
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