蜜白玉のひとりごと
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怒涛の一か月だった。
4月のはじめ、とうとう父がご飯を食べられなくなった。口からご飯を食べられなくなったら、胃ろう(お腹に穴をあけて直接胃に栄養を入れる)にしようと考えていたのだけれど、そうは簡単に問屋がおろさない。
一般には、胃ろう造設手術はそう難しいものではない。しかし仰向けになると胸が圧迫されて呼吸ができない父にとってはイチかバチかの手術だ。手術の間はどうしたって仰向けにならなくてはならない。そのせいで1つ目の病院では手術は無理と断られていまい、2つ目の病院が在宅往診医の紹介もあってやっとのことで引き受けれてくれた。
4月2週目に術前検査(これだって、相当しんどい)をして、4月3週目に入院と手術(手術室の前で待ってるこっちも生きた心地がしなかった)、その後11日間の入院中に、家族は胃ろうの手技を看護師さんから習う。家に帰って日に3度の栄養を入れてあげるのは家族なのだ。慣れてしまえば大したことないとは言われても、慣れるまではとにかく緊張する。見慣れない器具に、痛々しいお腹の傷。あー緊張する、とか、うー全然わからない、とか言いながらも、母はよくやっている。
入院中は父もだいぶ苦労したようだ。在宅ではできなかったジョクソウができてしまい、一部の看護師さんには冷たくあしらわれ、ご飯を食べられないさみしさも加わって、ますます気難しくなって退院してきた。
つらかろうと思うけれど、そういう父に私は笑顔を向け続けることができない。父の気難しさや不機嫌や苛立ちは家族への八つ当たりにも似た態度に変換される。聞けばきっとそんなつもりはないと言うだろう。しかし、ほとんど言葉を発することのない父からときどき発せられるのは苦情ばかりで、言葉がないならないで、嫌だ嫌だと首を横に振ったり、怒ったような表情で眉間にしわを寄せたり、あきれたようにため息をついたり、すねたように目をそらしたり、どれもこれも世話をする側からすれば八つ当たりのように思えてならない。そういう態度を私に対してとるならまだいい(私は自分がそれほどやさしくないことに気づいているので、反論したり仕返しができる)。母に対してそういう態度をとっている父を見るのがいちばん腹が立って、同時にものすごく悲しい。
病気の人にはやさしくしてあげなければいけないのかもしれない。でも私はいろいろと思うところがあるので、いつでもやさしく、というわけにはいかない。日々の在宅介護はきれいごとではない。実家ではただでさえしんどい病気の人がさらに上をいく病気の人を看ているのだから、なおさらだ。
つらくて苦しいとき、そこばかり見ていたらつらくて苦しいだけだ。当り前だ。不運にも治らない病気になってしまったからには、病気から逃れるのは天地がひっくり返ったってたぶん無理だ。じゃあもう絶対幸せなんかないのかと言えば、それがそうでもないんだと今では思う。つらくて苦しい、不運でムカつく。なんで自分ばっかり。そりゃそうだ。でもその負の思いの向こう側に飛んでほしい、と私は父に対してずっと思っている。いつかそのことに気づいてくれないか、とずっと思っている。テレビばかり見ていて、いつだったか「そんなことは考えたくない」と私の話を突っぱねた父よ。私はあなたのその姿からたくさん学ばせてもらっています。
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