蜜白玉のひとりごと
もくじ|かこ|みらい
どうもマンションで暮らしていると、だらしない生活をしている(であろう)家が目につく。我が家はふたりとも朝早くに出て夜真っ暗になってから帰ってくるので、明るい昼間はあまり家にいない。昼間の様子がわかると言ってもせいぜい土日くらいだ。そんな限られた時間でさえ、廊下を歩くときとか、駐車場の脇から表へ出るときとか、敷地内のゴミ捨て場にいくときとか、何気なく目にするものだけで他人の家の様子はわかるものだ。生活が透けて見えるというか、見ようとしなくても見えてくる。もっと言えば、見たくもないのに見させられてしまう。
マンション内で顔を知っている人はあまりいない。廊下ですれ違えばあいさつはするけれど、何号室の誰々さん、とわかるのは引越しの挨拶に行った部屋の人だけだ。そんな中で、顔はわからないのに、その存在をくっきり示している住人というのがいる。
例えば、「雨が上がった次の日もまた次の日も、いつまでも傘を廊下に出しっぱなしにしているIさんち」
最近はどこもそうだと思うけれど、マンションには細かい決まりがある。全部は覚えちゃいないが、入居のときにとうとうと説明された。えー、そこまで、とうんざりしたものの、決まりは決まり。ここに住むってことはそれを受け入れるってことだから仕方ない。その中に、廊下は共用部分なので廊下に物を出しっぱなしにしてはいけないというのがある。Iさんちはみんなが通る廊下に面しているのでものすごく目立つ。Iさんちだけ守られていないみたいに見える。ちなみにIさんちはドアにトールペイントの表札をでかでかと貼り付けている。どうにもこうにもそこだけメルヘンで浮いている。厳密にいえばこれも貼ってはいけない。ドアの廊下側は共用部分なんだってば。それを管理組合が注意したかどうかは不明。
かさねて、「燃えるゴミを透明袋に入れずにダンボールに入れて、しかもふたが開けっ放しだから中身の住所とか名前が丸見えの同じくIさん」
これをゴミ捨て場で目にしたときは驚いた。ダンボールに投げ込んだまま捨てるなんて荒業を堂々と「記名で」やってのけてしまう無頓着さにあきれた。こういうのってバレないようにやるんじゃ・・・
ほかにも、「自転車を自転車置き場の枠の外に仮置きするYさんちの旦那」
Yさんちの旦那さんは自転車に乗ったうしろ姿だけ見たことがある。どんな自転車に乗っているかも知っている。その自転車がいつも自転車置き場ではないところに止めてあるのも知っている。朝、駅へと急ぐうしろ姿を見て、あと5分早く家を出れば、自転車置き場から自転車を出せるよ、と心の中で呼びかける。でももしかしたら自転車置き場の料金を払っていないのかもしれない。
あとは、「いつ見かけてもぽわ〜っとたばこを吸っている、司法試験を控えた専用庭の旦那」
専用庭の家の名前は知らない。ここの旦那さんは仕事をしているのかしていないのか、時間を問わずよく専用庭でたばこを吸っているのを見かける。ある日、たまたま前を通りかかったとき、大声で怒鳴り合う声が聞こえて、「ぅぉわ!」とびっくりした。「こっちは司法試験控えてんだよ!」とおっしゃっていたから、きっとそうなのだろうと思う。司法試験はいつなのだろうか。無事合格されたのだろうか。
とまあ、別に知りたくもないのにいろんな情報が目や耳から入ってくる。きっと我が家も同様に観察されているに違いない。どこへ行くにもいつも一緒で(ゴミ捨ても)、無駄に仲のいい夫婦だと思われているかもしれない。マスクをして帽子をかぶってマフラーをぐるぐる巻きにしているときに、バッタリ廊下で遭遇することもあるから、ダサい変な人だと思われているかもしれない。まあどうでもいいや。最低限のルールは守って気持ちよく暮らしたい。
で、言いたかったことは、Iさんちの傘を見て「だらしないなあ」と思ったときに、「だらし・ない」ってことが悪いことなら、「だらし・ある」っていうのは良いことなのか?(そんな言葉ないけど)だいたい「だらし」って何だよ、と相方とふたり疑問に思ったのだ。で、調べてみた。
だらし・な・い (形容詞) 「だらしない」は、同じ意味の「しだらない」が転じた言葉。音節順序を入れ替えるのは江戸の頃の流行りでそうなったのかも、ということだ。「しだら」は「自堕落(じだらく)」や「ふしだら」の「しだら」とする説がある。「だらしない」「しだらない」とも悪い意味のときにしか使わない言葉だそうだ。チャンチャン。
|