蜜白玉のひとりごと
もくじ|かこ|みらい
ドイツの児童文学作家エーリヒ・ケストナーのこんな言葉に出会った。「人生を愛せよ 死を思え 時が来たら 誇りをもって わきへどけ」。
ここでも何度も書いている大好きな『ふたりのロッテ』の作者ケストナーは、『飛ぶ教室』や『エーミールと探偵たち』という児童文学のイメージが強くて、こんな言葉を残していたとは知らなかった。調べると、この言葉には続きがあった。
++
人生を愛せよ 死を思え
時が来たら 誇りをもって わきへどけ
一度は生きなければならない
それが第一のおきてで
一度だけ 生きることが許される
それが第二のおきてだ
エーリヒ・ケストナー
++
父が病気になり、その病状が進むにつれて、私はますます死ぬことと生きることについて考えるようになった。死ぬことについてじっと考えていると、いつの間にか、生きることについて考えていたりする。問題がすり替わるというか、スライドするのだ。どう死ぬかはどう生きるかと同じことだ、という話をよく耳にする。乱暴な言い方だとも思うが、生きることの延長線上に死ぬことがあるのだから、分けて考えるものではなく、同じ類いのものとして考えた方がしっくりくるのかもしれない。
でも、本当のところ、私にはまだわからない。胸を張って言えることはあまりない。わからないから、考えたい。考えて考えて、自分の信念を見つけたい。揺るがない、譲れない、自分の軸を探している。
考えるときには何か取っ掛かりが必要だ。いつもいつもそのことばかり考えていると、おのずとそれに関係していることが目に飛び込んでくる。この、ケストナーの言葉もそうだった。
信頼できる人の言葉に耳を傾けようと思う。子どもの頃はじめて物語を読んだ時から大人になった今でもずっと、私の心を震わせるケストナーが言うのだから、この言葉もきっと私を支えてくれるに違いない。
|