蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2007年12月04日(火) 玄米様様(げんまい・さまさま)

相方の実家からお米を送ってもらう。玄米5キロ、白米2キロ。明日の夜、到着予定。普段のご飯はすっかり玄米になった。外食が続いたりでしばらく玄米を食べないでいると何となく落ち着かない気分になる。うちで白いご飯を炊くのは酢飯のときと、あとはうなぎ、カレーのときくらい。風邪をひきそうでひかなかったり、疲れたなあと思っても数日で回復したりするのは、玄米のおかげかもしれない。玄米を食べてつじつまを合わせている。

島本理生著『大きな熊が来る前に、おやすみ。』読了。表題作ほか2編の短編集はどれも似たような雰囲気を持つ。あえてそういう風に作り込んだ、とあとがきにはあった。聞き分けのいい登場人物たちを動かし、お行儀よく進む話。形よくまとまってはいるけれど、おもしろみに欠ける。器用なのも善し悪しだ。しばらく読まなかったうちに、小さくまとまってしまったのか。

意図的にであろうとなかろうと、人を傷つけるのは人であり、またその傷をいやすのも人である、ということがわかる。よくあるテーマだけれど、思い当たる節もあり、こうなると人間はずいぶん面倒くさい生き物だ。一喜一憂、浮かんでは沈んでまた浮かび、さまざまなパターンでそれを繰り返す。その面倒くささに嫌気がさすこともあれば、救われた気持ちになり、ああそれでこそ人生、とちょっと大げさだがひとり納得することもある。過去は薄れこそするものの、消したり忘れたりできるものではなくて、都合の悪いものは適当にぼかしながらも、受け入れて抱えていかなければならない。難しいし、時間がかかる。それでも、病むことなく生きていくには必要な力だと気持ちを奮い立たせる。


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