蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2005年05月18日(水) 三十一文字の効用

5月はPR誌「ちくま」をもらい損なう。「ちくま」の後ろのほうに歌人・穂村弘のコラムがあって、とても短いものだけれど毎月クスクス笑ってしまう。気に入って、穂村さんのエッセイを探して読む。『もうおうちへかえりましょう』『世界音痴』とも穂村さんのだめっぷりが光る。こんなにだめな俺、とわが身を嘆きつつ、でもどこかでそんな自分を愛し、また結果的に世界と自分との距離をバランスよく保っているように思える。読んでいて奇妙な安定感がある。

ちょっとした訳あって、短歌を作ってみようとする。思いついたのはいいけれど、今まで一度も作ったことがない上に、好んで読むこともなかったので、作ろうにも取っ掛かりが何もない。短歌ってどうやって作るんだ?五七五七七ならなんでもいいのか?あまりに知らなさ過ぎるので、穂村弘・東直子・沢田康彦『短歌があるじゃないか。: 一億人の短歌入門』を読む。

短歌は基本的に五七五七七の三十一文字。たったこれだけに全てを託す。少ない言葉にぎゅっと閉じ込められたイメージは、読まれた瞬間にパッと解き放たれるようだ。短歌はきっと声に出して読むのがいいと思う。三十一文字のリズムが頭の中をくるくる巡りだす。短歌がこんなにもいきいきとして自由なものだとは。

日に一首、作ってみようか。


++きょうのうたひとつ++

週半ば 葉裏をあおぎ苦笑い 一息に飲むトマトジュース

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最初に載せる歌がこれとは、なんだか疲れきったサラリーマンのようだけれど、この頃の日課として、メタセコイヤの大木の下でトマトジュースやら豆乳やら体に良さそうなものを飲んでから、職場の扉を開けることにしている。そのとき見上げる空の青と葉の緑に、知っているはずなのに毎朝はっと驚く。不思議なのは嫌いなはずのトマトジュースも外で飲むとおいしく感じるということ。


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