蜜白玉のひとりごと
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江國香織の新刊『号泣する準備はできていた』(新潮社)を購入。めまいをおして一気に読む。読み倒す。ひさしぶりに江國ワールドを満喫した。
『号泣する準備はできていた』は、小説新潮に掲載された6編とサントリークォータリーに掲載された6編の、合わせて12編からなる短編集だ。それぞれのタイトルは、こう。
前進、もしくは前進のように思われるもの じゃこじゃこのビスケット 熱帯夜 煙草配りガール 溝 こまつま 洋一も来られればよかったのにね 住宅地 どこでもない場所 手 号泣する準備はできていた そこなう
自由奔放な言葉の並び。タイトルからして既に江國香織の雰囲気を感じる。「じゃこじゃこのビスケット」や「そこなう」なんて特に。発売日は明日なので、これから読むのを楽しみにしている方も大勢いるだろうから、内容にはなるべく触れないようにしたいのだけれど、ほんの少しだけ。
読みながら、過去の作品をいくつも思い出す。それぞれのお話に出てきた言葉とか情景とか。たとえば、『冷静と情熱のあいだ』であおいが言った「持ちたいわけじゃなくて、読みたいだけなの」とか、フェデリカの指輪をしている手とか、『ホリー・ガーデン』の果歩の眼鏡とか、詩集『すみれの花の砂糖づけ』にあった「失う」ことについての詩とか。それらはまるで暗闇にぽっと灯りがともるように、何かの目印のように、次から次へと思い出された。
12編の物語は全て「所有−喪失」の大きな流れの中にある。図らずも大切なものを手に入れてしまったら、あとはもうそれを失うしか前に進む道はない。意識しているしていないに関わらず、みんなそのことをとても恐れている。だから、うっかり大切なものを失ったりしないように、息をひそめて注意深く毎日を過ごしている。それでも喪失を避けて通ることはできないのだ。たとえ大切な誰かが今、現に、目の前にいても。江國香織の描く「喪失」はある意味とても厳しく、容赦ない。
ざっとひと通り読んだ限りでいえば、2番目に好きなのは「熱帯夜」。「熱帯夜」は気に入ったけれど、でも1番じゃない。1番はとても決めきれない。
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