蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2003年06月18日(水) 草子とママ

江國香織『神様のボート』を再読中。読むのはたぶん、これが3回目だと思う。前に読んでからずいぶん間があいていて、話の細かいところはもうすっかり忘れている。再読向きの記憶力のなさだ。

3回読んでやっと気がついたことがある。草子ちゃんと私にはいくつか共通点があって、ひとつは生まれた時間、もうひとつは生まれた月、そしてもうひとつはママがピアノ弾き、ということだ。生まれた時間は正確に言うと3分違いで、生まれた月はおんなじ5月。母はこの頃はもうピアノを弾かないけれど、昔は演奏もしていたし、先生でもあった。だからなんだ、と言われればそれまでなのだれど、こういう小さな共通点は、物語と私の距離をぐっと近づける。おかげで今回は、自分を草子ちゃんに重ねて読んでいる。

それから、これは前から気づいていたけれど、転校生というのもおんなじだ。引っ越しと、それに伴う転校。私は小学校を4回かわった。なじんだ街から離れることよりも、見知らぬ街へ入っていくことの方が何倍もつらい。お別れはさびしいけれど、転校先で起こるであろうさまざまな出来事に比べれば、そんなのは何でもない。

新しい学校へ行くときはいつも、こんなところ絶対に溶けこめない、と感じた。世界は私抜きで完全にできあがっていて、どこにも私の入り込むすき間なんてない。何もかもがよそよそしくて、不安で心細かった。誰に対しても愛想よくしていなければならないし、うっかり方言が出ないように気をつけて話さなくてはならない(2,3年も住むと、その土地土地の言葉がすっかり染みついてしまう)。

そうして細心の注意を払っていても、転校生はいつでも目立つし浮いている存在なのだ。できれば放っておいてほしかったけれど、お節介な子やいじめっ子にとってはかっこうの餌食で、彼らがそんな私を放っておくわけがない。10月なんていう中途半端な時期に転校したせいもあるだろう。うちの引っ越しはいつも10月だった。

日本中を転々とするうちに、いつしか母はピアノをやめてしまった。今思うと意地でもやめない方がよかったのかもしれない。でも、本人がやめると決めたのだから仕方がない。東京に住むことになったときには、スペースの関係からとうとうピアノも手放してしまった。引っ越しはいつも唐突で、私たちの生活を根こそぎ奪っていってしまう。

こうして、私にいろいろ思い出させるとても危険な小説、『神様のボート』。


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