Deckard's Movie Diary
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2008年07月01日(火)  シークレット・サンシャイン  ぐるりのこと  歩いても歩いても

『シークレット・サンシャイン』
噂に違わず、素晴らしい作品でした。監督のイ・チャンドンの才能には驚嘆させられます。『ペパーミント・キャンディー』『オアシス』と、この人の演出力は卓越していましたが、今回もまたヤラレてしまいました!彼は“人間”という生き物とその生き物を取り囲む全ての“モノ”を恐ろしいほど冷静に捉えています。それは裏を返せば、不完全な人間という存在に限りない愛情を注いでいるようにも見えます。

人がとある行動を越す時には必ず何らかのきっかけがあると思うのですが、時には“異邦人”のように「暑かったから殺した・・・」というコトもあるでしょうが、多くの場合はその様な不条理な理由ではなく、様々な要因が重なって動かされるワケです。この作品は、起こりうる状況の積み重ねがとても丁寧に作られていて、ついつい引き込まれてしまいます。些細な見栄が取り返しのつかない悲劇を産み、主人公のミリャンが徐々に底なし沼に吸い込まれていく心模様・・・そして再生。映画はその様子を、まるで卵から蛹を経て成虫になるまでをじっくり観察するように描いていきます。新しい場所、新しい知人、一人歩きする噂、その噂に跨り、上から目線の立場も心地よく、事が起きてからも相手の上に立つこと(許してあげよう・・・)で納得しようとするヒロインの姿は、自分のような下劣な俗物にとっては鏡を見ているようでした。

娘、隣人、風に飛ばされる髪、映し出される日差し・・・このラスト一連の計算されつくしたシーンの積み重ねは、この映画のエンディングを飾るのに相応しく、観る人の心の中に永遠に刻まれるのは間違いありません。“秘密の日差し”が何処にあるのかを、強烈に教えてくれます。時折、仰がれる“日差し”・・・その日差しは時に恨めしく、眩し過ぎる。人を真綿のように暖かく包む日差しは決して人を見下ろす位置にあるのではなく、下種な人間が見下げるところにあったりするのかもしれません。人間なんて所詮“俗物”。だからこそ、愛おしいのでしょう。これからは“下種”よりも“上種な俗物”を目指します。

カンヌ映画祭主演女優賞を獲得したチョン・ドヨン(ミリャン役)の演技は筆舌に尽くしがたく、それは心の芯を鷲づかみにされるような印象を残します。人間の誰しもが持っている心の中で蠢くどろどろしたモノ、虚無、不安、絶望、渇望、葛藤、煩悩、見えない叫びとも言える様々な感情を見事なまでに表現しています。また、そのミリャンを支える御馴染みのソン・ガンホ(ジョンチャン役)がまた素晴らしい!この人はどんな役をやっても嫌味がなく、存在感だけが残る得がたい役者です。

それにしても、何故にこんなにも素晴らしい作品が(東京の場合)シネマート六本木とシネマ・ロサのマイナー過ぎる映画館(館主の方、ゴメンナサイ)でしか上映されていないのでしょうか?とても信じられません。本当にもったいない!




『ぐるりのこと』
橋口亮輔監督は着実に成長しています。鬱に襲われた後の6年ぶりの新作はある夫婦の10年に渡る物語。それまで気ままに暮らしていたカナオ(リリー・フランキー)と翔子(木村多江)。ところが、初めて授かった子供を亡くしてことで、微妙に二人の調和がズレ始めます。多くは語らないカナオに不安を募らせる翔子は徐々に精神のバランスを崩していく・・・。この映画において、夫婦における“子供”が触媒になっているのは間違いないです。それは法廷画家である夫カナオ(リリー・フランキー)の仕事を通して1988年から89年にかけての連続幼女誘拐殺人事件、1999年の音羽幼女殺害事件(明らかに加害者サイドに肩入れしていました・・・個人的には同じ考えです)、2001年の池田小児童殺傷事件などがストーリーの背景に描かれているのでも分かります(1995年のオウム地下鉄サリン事件等も描かれていますが・・・)。今までのこの手の映画では避けられていたセックスの生々しい会話や演出は橋口監督だから出来たようなモノですし、そういう部分も含めてこの夫婦の存在感は実にリアルです。ただ、同じように女性の崩壊から再生を描いた『シークレット・サンシャイン』と比べてしまうと・・・ヌルく感じてしまいます。もちろん、それぞれ作品の狙いは違いますし、比較すること自体間違ってはいるんですけどね。でも、なんかね、気になってしまいました。それでも、この映画は観る価値十分です。人は“赤い糸”で繋がっている相手を探し求めているのかも知れませんが、それは捜し求めるモノではなく、そう思うことなのかもしれません。この映画には“性”が違う上に、他人でもあるカップルが作り出す“夫婦”という男と女の状態が正しいコトなのかどうか分からないけど、その状態が織り成す人生が決して悪いモノではないんじゃないの!というメッセージが感じられます。子供はあくまでも垢の他人が一緒に住むことによって生じる単なる副産物なんでしょうね。子供の誕生、それ自体は素晴らしいコトですが、人生の主演は“ふたり”です!橋口氏のプライベートを考えると奥深いモノも感じます。

“めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい。”
映画のキャッチコピーはシンプルでありながら、力強いです。まぁ、2度も結婚に失敗しているオイラが言っても説得力は無いですけどね(苦笑)。“ぐるり”とは自分の身の回り、自分を取り巻く環境のことだそうです。自分を取り巻く環境を自然のまま受け入れるコトが出来れば人間は幸せになれるんでしょうね。誰かが言っていた「期待するから腹が立つ!」・・・そんな言葉も思い浮かびました。結局は“ひとりよりはふたり”(遠い昔の丸井のコピーですね。)なのかもしれませんが、それは相手に期待するコトではなく、支えあうコトなんでしょう。何だか結婚式の挨拶みたいな感想ですが、素人なモンんで・・・(6 ̄  ̄)ポリポリ とても良い作品なのですが、ちょっと尻すぼみの印象も残りました。でも、心静かに落ち着いた生活こそが“幸せ”ってことなんでしょう。

最後に一言だけ!リリー・フランキーは信じられないほど良い味を出していますし、木村多江も今までで最高のパフォーマンスです。観て損はありません!




『歩いても歩いても』
邦画のお家芸でもあるホームドラマの久々の傑作です。重箱の隅を突いている作りは向田邦子に近いですが、そこは監督・脚本が是枝裕和なのでドロドロ感は控えめです。っつーか、それさえもアッサリと素麺(汁には唐辛子が入ってますが・・・)のように描かれています。自然な流れの中で家族が醸し出す甘味、酸味、塩味、苦味、そして、うま味もタップリと味わえます。樹木希林、原田芳雄、YOU、夏川結衣と芸達者が揃った中で阿部寛がどうかなぁ?と思っていたのですが、父親とソリが合わない“ぶっきら『棒』”のような存在感は妙にハマっていました。

内容はホームドラマですから、決して大きな出来事は起きません。ただ、一つ屋根の下で発せられるセリフのひとつひとつ、それ自体が生き物のように飛び交っていて、観ている方は息が抜けません。登場人物は皆、良い人です。でも、良い人だって胸に一物かかえているワケで、並んだ新品の歯ブラシ3本にも人の意思があり、その捉え方も人や状況によって様々だったりします。その辺りの演出がとても巧みで、その巧みの技が生み出す登場人物のリアルな存在感はため息が出るほどです。まさに、是枝監督の真骨頂!とにかく上手い!上手い!としか表現のしようがありません。

阿部寛演じる次男は親にも夫にもなれずに、挙句の果てに失業中・・・宙ぶらりんの状態です。でも、結局のところ“人”ってのは、死ぬまで宙ぶらりんなんですよ。何かに辿りつきたくてひたすら歩き続けるんでしょうけど、歩いても歩いても、小船のように揺れて貴方の腕の中・・・というコトになってしまい、そんな“貴方”は何処にいるんだぁ!ってコトなんでしょう(意味不明)。それにしても、良く出来たホームドラマってのは、観終わった後に身に詰まされますなぁ・・・(/・_・\)アチャ-・・。


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