| 2003年11月21日(金) |
久本雅美は『マチャミ』 堺正章は『マチャアキ』 なら、さだマチャシやマチャ斉藤もアリでしょ? |
よく僕は冗談で、何もないとこを指さして
「あそこで遊んでる妖精さんが..」と言った後
「あ。ごめん。これは大人の人には見えないだった(*>_<*)」
というようなことを言ったりするのだけど(笑) まじめに最近はホントに 『大人の視覚』と『子供の視覚』の差をすごく感じるのです。
別に「妖精が見えるかどうか?」と言うことではなくね(笑) 大人になると視野が広がるといわれるけど それってあくまで知識の幅だけのことであって 本当の意味での『心の視野』はどんどん狭くなってるじゃない? っていうようなことなのですよ。
『心の視野』って言うと難しい感じだけど 簡単に言えば、物の見方や捉え方、感じ方っていうのかな? 感受性がどんどん削られていってない?
これは好奇心がなくなっていったのか、 心のハードディスクがパンパンなのか分らないけど すごい重要なことなんじゃないかな?って思うんだぁ。
例えば、どこかハイキングでも入って『森』に入ったとするじゃない?
その時に『森』に対して感じるのが、 自分の頭の中にある『森』という固定概念の中で 「今、自分は森という1つの世界を歩いてる」と感じるのか、
それとも、『森』というものを1つの世界と捉えずに たくさんの木々や、草花、石や砂、動物や昆虫が集まったものとして 感じるかって、すごく大きな差だと思うのよ。
う〜ん。ちょっと分りにくい説明だったかもしれないけど、 つまりさ、同じ『森』を歩いてても 多くの大人はどの森にいっても「森だな」としか感じないのに対して 子供は木や石ひとつひとつの変化にまで興味や感心があるから 見逃してしまいそうなものにまで感動できるっていうのかな?
それを僕は『大人の視覚』と『子供の視覚』の差として すごく感じるんだよね〜。
感動する本や映画もいいし、僕自身ももちろん大好きだけど 何て言うか、誰かが作った『与えられた感動』しか 感じられなくなってきてるのでは?と問いかけたいのですよ。
片方では『オモチャ』がなければ遊べない子供達が増えてる中で、 『与えられた感動』でしか感じられなくなってる大人達。
良くも悪くも作り物はあくまで作りものであって 自分の目で見つけた感動ではないんだよね。
ま。たまにはさ、自分で目で感じる 妖精を見るぐらいの感動もあってもいいよね?(笑)
 今年いっぱいで閉店してしまう『お好み焼き 関西』 (プロレスラーのダイナマイト関西選手のお姉さんのお店) 昔はよくJWPの若手選手がバイトしてたもんだったなぁ〜。遠い目。。。
今日のBGMは「Double / Destiny」
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