ふむん、らー(挨拶) あいかわらず、更新が滞ってるのですが。どうもSHASHAさんからバトンが回ってきてたので、答えておきたいと思います。
あ、元気ですよ、しゃーこさん。心配させてすみません。はい……(照)
その名も「学校バトン」。 ……「学生生活があまり解明されていない感じの人」という事での御指名らしいのですが……うむ……ご期待に添えられるのか、自分?(汗)
■小、中、高の中で一番思い出深い時期は?
中学3年の夏ごろから高校3年間の全て、でしょうかね。 「勉強する」という事に罪悪感を抱いていた時期です。自己不信と人間不信の念がピークだった頃で、それ故に毎日がどんよりしていて、それでいて自分と全く違う周りの人間に好感と憧れと希望を感じるという、アホな精神構造に悩まされてました。ついでに夢見がちな妄想癖にも。 曇りの日の夕方のように、ぼんやりとした赤い情熱の日々でした(なんちゃって)
■一番お世話になった先生はいつのときの先生?
小学校3年にお世話になった、臨時教諭のオノ先生。 はじめて先生という職業が、優しくて尊敬できて、子供の為に尽くしてくれる聖職だと知りました。 彼が結局臨時教諭にしかなれなかったという事実(なんせ小学生の間の噂ですから、真偽はわからずじまいなのですが)、自分が漠然と抱いていた「将来の夢=教師になること」という図式を破壊した最初の事件だったと思います。 なによりも、彼に出会わなければ、もう少しマトモな人生を送ってたか、とっくにこの世にいなかったと思うのです。
■得意だった科目は?
体育と国語、数学(中学まで)。 高校に入ってからは上記の通り、変な病に罹って勉強しなかったので、どれもコレもアレでしたが。 ……それでも世間並みの大学に入れたのですから、大学入試制度はどこか破綻してます……(苦笑)
■では、苦手な科目は?
英語と科学。 もうね、最初から苦手。 英語は中学の時に「文法」を学んだ時からダメ。SVOって意味が、まったく理解できなかった。それを覚えたとして、どうやって利用するのかわからなかった。大学に入って二年目にしてやっと理解できたってどうなってるのやら。 数学の式と同じだって、誰か言ってくれれば良かったのに(笑) スピーチは気恥ずかしさが先に立っちゃうし、何よりもテンパっちゃうので全然ダメ。 科学関係は、地学以外はダメ。 中学の時は電気が苦手だった。 高校はモルが出てきた段階で脳みそが豆腐以下の価値になったと実感できた。 そんな私ですが、最近はエントロピーやら量子力学やら虚数空間やらについてnocasterと話しあえるので、科学嫌いの人もSFを読んでみたらどうでしょう?(なんだ、この絞め方は/笑)
■思い出に残った学校行事3つは?
1・中学の3年の中体連 バスケ部だったんですが、試合の半月前に生まれて始めて捻挫した(愕然) いつもはスターティングメンバーだったんですが、流石にベンチスタート。テーピングしておいて、試合の流れが完全に向こう側に移ったのを見計らって投入されました。監督にすれば、最後の試合だから悔いの無いように行って来いという意味だったんでしょう。 ……っていうか、私が抜けてガードのいなくなったチームが、どうやっても勝てるわけないでしょうが。 きっちりと逆転させていただきました。 ヒーローでした。マジで。 捻挫は今でもクセになっちゃってて、時々何も無いところで捻っちゃったりしますけどね、それぐらいあの時の高揚感に比べれば安いものです。
2・高校3年の体育祭 高校の時には、ソフトボール部と文芸部を掛け持ちしてたんですよ。 体育祭のクライマックスが、部活対抗リレーでして。 これは「体育系の部活」と「文系の部活」の二種で分けられていたものなんですが。 まずソフト部の第一走者として校庭を一周。 もちろん、相手が全員体育会系で鍛えられてますから、気が抜けません。中学時代バスケ部&陸上部の掛け持ちだった人間のプライドもかかってました。 もちろん全力疾走。 体育会系の第一予選が終わったら、文系の第一予選。 文芸部の部長として、そして他の文芸部員が「体育のた」の字にかすりもしない生活であることを身にしみてわかってましたから、第一走者として少しでも前に出なければならないと……。 二度目の全力疾走。 「周りのスピードが遅いので、物凄い速さにみえた」とは、爆笑しながら語ってくれた入学時担任だった先生でした(ちなみにバスケ部顧問) それでも文芸部は予選落ちしましたけどね、はい。 ……校庭4分の1周は差をつけたはずなのに、なぜよ……。 でも何よりもね。 休む間もなく体育会系の二次予選が始まった時には気が遠くなりましたけどね。 ちょっとのインターバルはさんで全力疾走って、マジ疲れるんですよ……(わからない人は、体育会系の人にでも聞いてみてください)
3・高校3年の時の生徒会選挙 実は高校時代、我らの先代部長より、生徒会会長を含む委員の過半数が我が文芸部によって占められておりまして。 高校2年の時など、ソフト部部室より文芸部部室より生徒会室に入り浸っていた「座敷童」でございました。もちろん、文芸部部長という肩書き以外は完全に部外者でございます。 高校2年の後期生徒会長が、私にとっていまだに頭のあがらないHさん(文芸部員&編集長)であった為、その後継者選びに奔走するのを手伝ってました。 立候補者受付締め切り日の夜9時まで決まらないって、どういうことよ?(笑) 生徒会内部の抗争やら適任者の有無はおいといて、いい経験をさせていただきました。本当に。
■学生時代は、クラスではどんなキャラだった?
小〜高まで、一貫して「いつも本を読んでるおとなしい人だけど、運動神経は良い」でしたね。 高校に入ってからは「いつも遅刻寸前の人」とか「いつも2時限目にお腹をグーグー鳴らしている人」とか「いつも生徒会室にいる部外者」とか「いつも授業中眠ってる人」とか、そんなバリエーションもプラスされていたようですが。
ちなみに今は「マイペースな人」「面白い人」「酒が強い人」「いつも眠そうな人」等など。 レベルアップしたのかダウンしたのか……。
■学生時代の友達からの呼び名は?
ほとんど名前の短縮形ですな。 体育会系の部はともかく、文芸部では部長なのに、後輩にあだ名でよばれてたもんなー(遠い目)
■好きな給食のメニューは?
カレー。断然、カレー。 っていうか、食わず嫌いの偏食家だったんで、義務教育中はカレーしかマトモに食べられなかった。 カレーと牛乳と、フレンチドレッシングのサラダの時には、年に一度の「お腹一杯食べられる給食の日」でした。 その日以外は、パンと牛乳だけの日なんてザラだったもんなー。
■学生時代に出会った友人は、あなたにとってどんな存在ですか?
今でも付き合いがある人はHさんぐらいなんで。 正直に言うと、怖い人たちです。自分の未熟な部分をほとんど見られてしまっているだろうという意味で。 そのせいか、いまだに精神的に弱っていると、中学・高校の友人たちの夢を見ます。特に部活関係の人たち。 そして汗びっしょりで飛び起きます。 どういう意味かはそれぞれのご想像におまかせします。
■次にまわす5人
うーん……今、あまり交流する時間がとれないので、いきなりはっきりと書くのは控えておきます。 メールでお知らせするので、その時にはよろしくお願いします(ぺこり)
まあ、そんなんです。 た、楽しんでいただけましたか、しゃーこさん?(汗)
今思うに、昔からなんでも掛け持ちばかりしてたんだな、自分。 忙しくしてるのが当然の生活が長かったから、今でも「掛け持ち生活」なのかもしれないですね。
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