2003年11月30日(日) |
アイデン&ティティ。 |
私がこっそりみうらじゅん氏のファンになったのは、タイトルにあるこの本から。 みうら氏ファン的には外道なのかもしれないけど。
今から見るとカッコ悪いんだけど、あの頃はあれが普通だったんだろうなぁ〜、カッコイイぐらいだったんだろうなぁ〜みたいな言葉が、チラチラ見え隠れするのも一興。 でもどうなんだろう? 20過ぎてから見るのが、一番ぐっとくる作品かもしれない。それと「芸術を仕事に」しようとしている人とか。 とりあえず、映画化されるというので(中村シドウも出るのかよ!? びっくりだ)、地方の私はビデオになるのを待つとします(受け身体質)
そのみうら氏が、インタビューだか本だったかで言ってたんですが。 うろ覚えなので間違ってるかもしれませんが
「自分はAのような作品を描いてるといわれた時ショックだった。 その後、好きだったBの作品にも似てると言われた。 でも、考え方を変えた。A+B=CのCが自分なんだって」
こんな主旨ことを述べていまして。 読んだ当時にも細々ラノベを書いていた自分としては、とても救われた言葉でしたね。 「類型ってなんだ?」「自分的文章とは?」「自分らしい発想って?」「キャラ造詣とは?」etc.etc.……。 なんて、0.03半人前なのに(半人前ですらない)、悶々と考えていましたな。
ようするに。 「書けばわかるさ、書いてみよう!」(イノキ風) そう思ったり。
今でもよく悶々と「自分の作品とは?」なんぞ考えてますんで、吹っ切れたりはしていなんですが(笑)
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で。 某所の方もぼやいてましたが
なんでこの界隈 11〜12月になると、何かしら問題がおきるのかなぁ?
とりあえず「元型論」でも勉強してください。そんで、学術文庫の「神話学」関係の本でも読んで、ついでに誰のでも良いから「物語論」でも読んで。今なら大塚氏のラノベ論やら人身御供論だってあるじゃないか。
ねぇ、これだけ「型」の研究がされているのに、文学が保ってられるのは、書く人のフィルターで、いくらでも「型」の世界が、表層的に変化するって事なんだよ?
それが一緒に見えるのは、「言葉」をないがしろにしている、物語の冒涜者だけだって。
今度の事件がどうなるのかわかりませんが、とりあえず、魔女狩りが早めに収束することを願います。
――っていうか、人というのは懲りない生き物なんだねぇ……。
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