2003年01月05日(日) |
ちょっとだけじぶんがたり。 |
ちょっとだけ、自分の過去を振り返ってみようと思います。 年始だしね。 オフでいろいろタイムリーな事もあったので。
私の履歴には「空白の2年間」ともいうべき時間があって、その頃の話である。 簡単にいうと、ダメニンゲンだった時間なのだが。
いきなりでなんだが『サイ○ック・フォース』という3D格闘ゲームを知っているだろうか。シリーズの2が「2」だか「2012」だかのタイトルで出たアレである。ちなみに私はどれも楽しませていただいたが、圧倒的に「1」が好きだった。理由はこれから書くのを読めばわかっていただけるのではないかと思う。
私はあれがアーケードに出現した頃、毎日ゲーセンに通っていた。当時の私の生活は、毎日歩いていける距離にある学校にも行かず、夕刻になるとわざわざ電車賃を出して本屋街へ行き、閉店まで立ち読みまたはゲーセンで格闘ゲーム三昧。その後はある喫茶店で「『てめぇは友人ではなく知り合いだ!』と私一人だけが主張し続けている仲」の築音さんとの待ち合わせ時刻に合わせて(これはほぼ毎日だった)その待ち合わせ場へおもむき一日一食の食事を口にし、喫茶店の閉店まで語り明かすというサイクルの日々だった。 はっきり言う。ダメニンゲンである。 その頃に会ったのが、『サイキック・○ォース』である。 ゲームストーリーの設定自体は別に目新しいものじゃなかったが(むしろいろんな意味でカッコ悪いというのがファーストインプレッションだった)、私の目はあるキャラに釘付けにされていた。 怪しい中国人ハーフのキャラ、別名「社長」である。 設定年齢は35、敵組織のナンバー2、腹黒、ニヤケ面、時間使い、そしてなにより眼鏡野郎……私をリアルで知る者は皆ハラを抱えて笑い出すだろう。それほどまでに私の萌え要素だらけのキャラだったのである。実際、その後いろんな意味で影響を受けたのが否めない点が悲しい。
さて、そんな「社長」の攻撃技は「デカイ剣が飛んできて敵に突き刺さる→追加コマンド入力成功後に小剣がザクザク刺さる」という、初見にはなかなかショッキングな技であった。もちろん、個人的にはモロに萌え技である。 ○イトーに恐ろしいまでに萌え要素の外堀から内堀までを埋められ、落城寸前大阪城状態の私だったのだ。いや、すでに勝負は決まっていた。乾杯ならぬ完敗だったのだ。どうでもいい話だが。
このゲームにハマってから十数ヶ月の間、私は今はなき雑誌ゲー○ーズを読むようになるのだが、このゲームを知ったばかりの私には誌面で情報を手に入れるほどの情熱も知識もなかった。かといってこのコマンドを知ると知らないとではだいぶ戦況が変わってしまう。というわけで、この追加コマンドを見極める為に、対戦台で「社長」をつかうサラリーマンの手元をじっと観察する日々が続いたものだ。 この頃思っていたのは、自分がスポーツをやっていてよかったなという事である。スポーツの上達の秘訣は、ズバリ観戦にあると思う。どの場面でどの動きをするのか、どんなパス回しをするのか(元バスケ部)、そんな事を学ぶと同時に、自分の動きのイメージを掴む事ができるのだと思う。もちろん、基礎的な動きをマスターした上での話だが。 この時ゲーセンでしていた「コマンドを盗む」観察と、自己鍛錬を目的とした「スポーツ観戦」は、非常によく似ていた。
話がそれているように感じられるかもしれないが、もう少しお付き合いいただきたい。 私はおそらく、あれほどまでに格闘ゲームにはまった時期はないし、あれほどまでにゲーセンに通った時期もない。あの頃ほど自分と見知らぬ対戦相手とのモニター越しの無言の会話を感じ取った事もないし、武術の体験の無い自分には「お互いの手の内が読めているからこそ、うかつに手を出せない」という完全な膠着状態でタイムアップを経験したのもあの頃だけである。 非常に貴重な経験をしたと思っている。 そして、あの頃入り浸っていた――そして今はないあのゲーセンは、本屋街にあるせいか利用者の平均年齢が以上に高く、それゆえにか妙な性差別も受けなかった事への感謝も思い出す。今は時折変な扱いを受けるから困ったもんだ。格ゲーで負けたからといって筐体を蹴るなどもってのほか、「●のクセに××してんじゃねぇ!」など下品に笑うなど言語道断である。実話だから迷惑だ。周りを見てマナーを学べん輩は家でゲームしろ、ゲーセン来るな。……っていうか、店の物を壊さないように遊ぶのも、他人を辱めるような発言は慎むのも、一般常識だろうが。
さて、これで私がこのゲームにどれだけはまっていたか理解していただけたかと思う。 本題はこれからであり、量的には実に少ない話になるのだが。
あの頃の私は、諸事情により精神的に、非常に追い詰められていた。 本屋通いもゲーセン通いも、ある意味勉強だと思っていたし、事実勉強にもなっていたのだが、簡単に言ってしまえば逃避行動の一言で片付けられるものだった。その頃も薄々は感じていたのだが。 その中で、あのゲームに出会ってしまったのである。猿のようにはまっていたのだ。 ある夜――いつものように築音さんと別れ、帰宅した夜の事である。 例の諸事情で追い詰められていた私は、それら面倒な事情の事を考えているうちに、非常にネガティブな妄想にとらわれていた。いわゆる生命の危機レベルである。 今も昔も単純な私はそんな時、大抵フテ寝をする。この時もそうだった。 自分のネガティブ思考にあきれ果て、さて眠ろうかと目を閉じた時――私は瞼の中でチラチラ動いてるモノを見たのだ。 目の疲れから見える幻影であるのはすぐわかったが、その幻影にある一定のリズムに見覚えがあった。その正体が気になって眠るに眠れない。 ヒュン、トス、トストストス……そして再びヒュン、トス、トストストス……そんなリズム。 その全ての正体がわかった時、私はギョッとした。 「社長」なのである。持ちキャラの「社長」が、敵キャラに「剣&追加小剣」を突き刺してる場面なのだ。 自覚した途端、腹のど真ん中がボカンと殴られたような気がした。 「ああ、一撃目の剣が刺さってる」――そんな衝撃だった。 「次は追加が来るな。でも避けられないや」――そんな感想も抱いたが、残念というかなんというか、追加の衝撃は襲ってこなかった。 それ以来、三日に一度の割合で「社長」の技をくらってるイメージが浮かび、眠ろうにも頭から離れず困った夜をむかえるようになったものだ。 ゲーセンからゲームの筐体が消えてもイメージは残り続け、結局、私のネガティブ寄りの思考がやや一般人レベルに戻ってきた頃にやっと消えた。
今でも時々、ネガティブ思考になるとあの幻影と腹への衝撃を感じることがある。
そして、こんな風に思うこともある。 「追加コマンドがなくてよかった」……じゃなくて。
またこのイメージ攻撃かよ、と。 ようするに慣れたのだ。 そしてついでに思う。 この波もふんばれば通りすぎるだけだと。 この前も乗りきったみたいに、なんとかなる、と。
時間というものは精神的弱者に優しいと思う。時は世界を変えてくれるものだ。 じっと黙って傷や痛みや状況が変わるのを待つのも大事だと思う。自分が変われなくても、時が世界を変えてくれる事がある。時が世界を変えないなら、あらためて自分を見なおせばいい。既に傷が癒えているというのに、気付いていないだけの事もあるから。癒された弱者に時は厳しい。その点は病院の看護婦と一緒だ。リハビリの時を逃せば、一生動けなくなる。 幸い、私は周りのおかげで動き出す事ができたが、動けなくなっていた可能性もあったのを忘れたくない。 私が「ダメニンゲンとしての二年間」を過ごしている間に学んだ事の一つが、それである。
長々と独り言で申し訳ない。 少し前、偶然オフで「あの頃何をしてたの?」と尋ねられたものだから、ふと思い出しただけなんですが……思いの他、長くなってしまいました。 ただ、御屠蘇で酔っ払った年寄りは、時に自分語りをはじめる困った奴だという事で勘弁してください。
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