suzu3neの雲収集家な日々

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2002年12月13日(金) 神のジャズ

ねぇベイビーここは きっと宇宙のど真ん中さ
(TMGE/ゴッドジャズタイム)

どうでもいい事なので。中世ヨーロッパの民俗学(っぽいもの)に興味のある方は、以下を反転してどうぞ。

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当時の人々はシスマによる教会不信の時期に起こったペストの流行、そしてタタール人の侵攻によって、民衆は世界の終わりを感じていたのである。そもそも当時の民衆にとって顔も知らぬ神とは、聖人を介した奇跡の源でしかなく、その神への信仰ではなく自分達と同じような姿格好を持ち幼い頃から見慣れた聖人にこそ、信仰と信頼を置くべき対象であった。自分達を悩ます病や厄災から自分達を守り救ってくれる現実的な救いの力が、人々にとって何よりも重要だった。つまり神よりも即座に力を発揮してくれる聖人の方が信仰を向けやすかったのである。教会側もこの現象に危機感を持ちつつも、これを承認するしかなかった。なぜなら民間信仰と教会の融合には、このような現象の中間者としての聖人が不可欠だったのである。布教の際、この様な妥協なくして布教が成立しないのは周知の事実だった。とはいえ、地中海側発祥のマリア信仰が――本来は地母神信仰との妥協から生まれたものであったが故に根強い人気を保っていた事も、これらの妥協が信仰の拡大に貢献しつつ教会側の頭痛の種であった事は事実である。
ペスト流行時、シスマが神の怒りをかったと考えた人々が頼ったのは、上記のように様々な病を治してきた身近な聖人たちと、当時の教会から異端認定された修道院であった。聖人やキリストの生涯をなぞる事で聖性を得ようとする修道院の清貧と自己犠牲精神(狂信的なヒステリーによる自傷行為を含む)は、当時の教会に対する批判を過分に含んでいた。ペスト禍において、彼らは神の怒りを説きながら各地を練り歩き、結果的にはペストをヨーロッパ全域に振りまく事になってしまうのだが、当時の人々には大抵好意的に向かえ入れられた。人々は未曾有の際涯であるペスト禍から逃れるものを、新旧問わず欲していたのである。さらに鞭打ち修行者のパフォーマンスは人々をある種の熱狂に落とし入れ、同時期に(現在では集団ヒステリーの結果と思われる)原因不明の舞踏病も各地で多発、流行する事になる。

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〆切前に一部を軽くまとめてみようと思ったのに、全然まとまってないな……(むしろ支離滅裂な気がする)
間に合うのか? 本当に間に合うのかよ、自分……(汗)
いや、間に合わせるけど。
尚、関連した情報や話題等、大歓迎です。


私の脳内、ただいま
「ゴッドジャズ! ゴッドジャズ! ゴッドジャズタイ〜ム!」
(同上)


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