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217 記憶の中の風景

母親が昔からずっとテニスをしていて、通っているテニスクラブに俺も物心ついたころからずっと連れて行かれて、そこで育った。そこがついこの間車で通ったらなくなってた。駐車場もあわせてとても大きいスーパーになっていたんだ。そのテニスクラブ自体はなくなっていなくて、ちょっと距離の離れた2箇所でやっていた。そのうちの1箇所で、俺にとって思い出のいっぱいつまった場所がなくなってしまったのだ。これはショックだった。
その場所はテニスコート以外にも大きなクラブハウスがあり、砂利の駐車場があり、砂場があり、子どもにとっては格好の遊び場だった。テニスをする親は子どもをつれてきて、さまざまな年頃の子どもが集まった。自分が小さいころには年上の子に面倒をみてもらい、自分が年上になると年下の子の面倒をみた。そこはとても特殊な場所で、学校ではなかなか遊ぶ機会のない年の違う子どもたちと出会い、友だちになることができた。そして大人たちとも友だちになることができた。おにいさん、おねえさん、おじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃん。年齢、性別を超えてさまざまな出会いがあり、そんな環境で俺は育った。とても素晴らしい場所で、子どもが育つ環境としては絶好だったと思う。自分の親ではない大人に、親のように怒られたことも何度もあったし、血のつながらない子どもたちがみんな兄弟のようだった。こんな場所なかなかないよ。
そのテニスクラブの中では鬼ごっこをし、かくれんぼをし、スケボーをし、バスケをした。なんでもした。そこにはたくさんの抜け道があり、おんぼろの壊れた車があり、さまざまな遊び道具があった。
何年もたってひさしぶりにその場所にいくことがあると、途端にものすごい勢いで記憶がフラッシュバックする。その場所さえあれば、いつでも俺は子どもに戻れる気がした。
形あるものはいつかはなくなる。自分の通っていた幼稚園もいまはない。人によっては小学校がなくなってしまったりということもあるだろう。これはしょうがないことで、時の流れには逆らえないわけだけど、やっぱりかなしいなぁ。

Voice.6 呼び起こされ記憶
2005年04月20日(水)

VOICE / マッキー

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