181 愛のあり方を憂う歌 |
片山恭一著「世界の中心で、愛をさけぶ」が流行っている。そして韓国のテレビドラマ「冬のソナタ」が流行っている。どちらもテーマは「純愛」。今、日本は純愛を求めているようだ。 スピッツの曲の中に「運命の人」という曲がある。この曲の歌詞について、最近友達とのドライブの中で話した事があったから、ふれてみたいと思う。
「愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ」
という歌詞がある。友達は「愛はコンビニでは買えない!」と少々憤慨気味に言っていた。そんな軽い言い方をするな!ということだと思う。 俺のこの歌詞の捉え方は、現代の愛のあり方をスピッツらしく優しく警告していると思う。コンビニに並ぶ雑誌などには軽い愛についての情報が溢れている。出会い系なんかのね。そーゆー意味でもあり、もっと大きく象徴的な意味でコンビニっていうのは「身近な存在」というのがある。手軽で、消費的なイメージ。そういう恋愛と呼んでいいのかもわからなくなりそうな愛のあり方が溢れ返る現在に、「そうかもしれないけど、そんなんでいいの?」と、優しく警告してるように感じるんだ。
ミスチルの曲の中に「名もなき詩」という曲がある。この曲についてもふれてみよう。
「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気が付けばそこにある物」
とても深い詞だと思う。「愛を与える」という表現をされると、現代の愛のあり方の危険性を示唆しているかのよう。この詞もやはり「そんなんじゃないでしょ?」と警告を発している。
「成り行きまかせの恋におち 時には誰かを傷つけたとしても その度心傷める時代じゃない」
そんな時代なんだなぁ、って思うよ。 だからこそ今、純愛が求められている。もう疲れてるんだよ。あたりまえに思われてる付き合い方にさ。
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2004年07月24日(土)
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