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179 加害者のその後

ちょっと前にテレビで、殺人を犯した青年の更正をドキュメントでやっていた。アメリカの少年院で、加害者の人間を更正していく過程を描いていたんだけど、青年の顔がしっかりうつっていて、やっていることもリアルで、ちょっと驚きだった。
加害者は更正していく上で、被害者の視点にたち、また被害者の遺族の視点にたつことが更正への道とされる。痛みを知り、痛みを感じ続けることが償いであるというのは当然のことだと思う。

その番組をみていて、被害者の立場を徐々に理解していく青年の姿をみていたら、みていた俺は加害者の青年の視点に少しだけなれた気がする。
思えば日本では、加害者の心理ってやつを事件当初に専門家が分析することで、心の中に潜む闇を照らし出して問題点を指摘するけど、本当の加害者の視点を見ることはなかなかできない。
同情したりするわけじゃない。彼らなりの苦しみを理解したところで、罪が軽くなるわけでもない。でも、そうした加害者のことをもっとよく理解するっていうことは、今後青年犯罪を理解するうえで大切なんじゃないかって思う。専門家がじゃなくて、世間がね。
事件がおきるとき、このあいだの佐世保の小学6年生の事件にしてもそうだけど、まるで周りの大人が異変に気づけなかったっていうのは、平和ボケっていったら変だけど、そういうことにあまりにも鈍感だからっていうのもあるんじゃないかな?どんどん低年齢化していってる犯罪だから、理解が追いついていけないのかもしれないけど、加害者の視点っていうやつを目をそむけずにもっとよく知ることによって、子供の異変に少しでも気づけるようになるんじゃないか、と。それは周りの大人の役目であり、義務であると思う。

メディアに顔を出すことが必要とはいわないけど、人権とのバランスがあるからなんともいえないことだけど、もう少しオープンにするべきところはできたらなぁって思う。慎重にならなきゃいけない問題だから、そんな簡単じゃないだろうけどさ。
2004年07月03日(土)

VOICE / マッキー

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