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176 人それぞれ

よく「人それぞれ」という。確かにそうだ。ほんとに人はそれぞれで、自分と他人の違いを実感するときに、いつもそう思うものだ。
このことを素直に受け入れることが、人に優しくなれるための一つの重要なポイントであるように思う。「人それぞれ」ということを本当にわかっていれば、その分人を理解することの土台はできあがるわけで、その時点で分かりあえるための「準備」ができるわけだ。
ただ俺たちはいつだってこのことを忘れちゃう。自分のことをわかってもらえずに「なんでわかってくれないんだ!」と怒ってみたり悲しんでみたり、「なんであいつはあーなんだ!」と声を荒げたり。「人それぞれ」ということをしっかり理解することができて、そのことがいつも心のどこかにあれば、今ある争い事のいくつかは回避できたかもしれない。
でも、俺が言いたいことはここからで、「人それぞれ」という言葉は、ときに都合のよいものに成り下がるってこと。なにかことあるごとに「人それぞれじゃない」と言ってしまえば、事はそこで終了。先には何も進まない。良いも悪いもなく、人それぞれだから、になってしまう。
バランスをとることってのは何にしても大事で、「人それぞれ」であるということに対してバランスをとらなければ、なんでもありになってしまう。「人それぞれ」という言葉を変に覚えてしまった人は、何かにつけてこの言葉を使うことで逃げてしまうことが多い。その点に関しては歯がゆい。なんでも正しく聞こえてしまう恐れがあるからだ。人はそれぞれ違うんだから、そのことをわからない人間には優しさが足りないと言われてしまいそうで、「人それぞれ」の強さにやられてしまい、自分を見失う。
特にそれが協調性を必要とすることであったり、自分以外の誰かが関わることである場合は、「人それぞれ」では済まされないことが多いってことを覚えておかなきゃならない。
聞こえのいい言葉には、その裏にリスクを背負ってるってことだ。
2004年06月03日(木)

VOICE / マッキー

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