20 喫煙者に対して |
いつも快くVoiceを見てもらっている人の中に、もしかしたらこのVoiceを読んで気分を悪くする人がいるかもしれない。その点に関しては申し訳ない。でも、俺は言わなければならない。間違ったことを言うつもりはない。世の中には間違っていないことだからといってなんでも言ってしまうと、うまくいかないことが多い。これも多くの場合そうだ。でもその可能性を知った上で、俺は言わせてもらうことにする。 俺は極端にタバコの煙が嫌いだ。これは精神的にも肉体的にも受け付けてくれないのだ。タバコの煙を吸うと気分が悪くなるし、タバコの煙は目を痛くする。においがつくのもすごく嫌だ。だからといって、俺はタバコを吸うなというつもりは別にない。いや、むしろ吸いたいのなら吸うべきだ、と思う。吸いたい人には吸いたい人なりの言い分がある。体は確かに悪くするかもしれない。でも、それを承知で吸うのなら構わないじゃないか。後にタバコのせいで調子が悪くなって、後悔するかもしれない。でも、そのことで後悔していることに対しては喫煙者を見て、俺は馬鹿だとは思わないだろう。だって、人生には後悔するようなことが溢れているんだもの。タバコの身体的ダメージも同じだ。喫煙以外のことで何かしら後悔をする俺が、喫煙のことで後悔している人間を否定することはできない。 ただ、禁煙者のことを考えたときに、今の喫煙者の多くに見られる喫煙に対する姿勢は間違っていると思う。かつては禁煙者で、喫煙者をけむたがっていた人間が、喫煙し始めると、コロっと姿勢が変わる。それは大衆の習慣に飲み込まれてしまっているんだ。正しいとか、間違っているとか、そういうことを考える以前に、大衆の習慣に慣れることを当たり前のこととして飲み込む。最近は禁煙に対して積極的に取り組む企業やら、公衆の場やらが増えてきている。禁煙者としてはもちろんうれしい限りだ。そこで喫煙者の中には「喫煙者は肩身が狭くなった」とぼやく人がいる。でも、よくよく考えてみればこれまでが肩身が広すぎたのだ。公然と人に迷惑をかけることが認められていたのだという認識がほしい。 それと、これは喫煙者がどのように受け止めて喫煙しているのか、生まれてくる子供のことだ。これは男も女も関係ないのだと言うことをみなさん知っているだろうか?女だけに影響があるのではない。これって可能性の問題じゃないと思う。これによる後悔は、先ほど言った後悔とは意味が違う。馬鹿だ。人に迷惑をかける後悔は否定しなければ、自分も救われない。 禁煙者は肩身が狭くあり続ける。喫煙者の前でけむたがろうものなら、「何おまえ!?タバコも吸わしてくれないの?」と言わんばかりの目で見られることがある。ふざけるな。人に迷惑をかけない喫煙者になろう!
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2003年05月18日(日)
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