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2002年11月05日(火) |
ニューシネマ・パラダイス |
1945年11月5日、 イラストレーターのペーター佐藤さんが生まれました。 この人で真っ先に思い出すのは、 1987年に営業を開始した シネスイッチ銀座の上映作品のパンフレットです。 といっても、こけら落としで上映された 『あなたがいたら/少女リンダ』しか持っていないのですが、 (それも、二番館である後楽園シネマで買ったものだし…) 未だシネスイッチの興行成績ナンバーワンの記録を 保持しているという次の作品も、 やはりペーター佐藤氏の描いた表紙が評判だったようです。
ニューシネマ・パラダイス Nuovo cinema Paradiso 1988年イタリア ジェゼッペ・トルナトーレ監督
いささか暴言ではありますが、 どうやら、この映画にもっともらしいケチをつけると、 「結構映画を見ているヒト」のフリをできるらしいですよ。 便利ですねー。
などと前振りしておきながらナンですが、 実は私も、この映画自体は余り好きではありません。 何が嫌って、退屈なんですもの…… いわゆる完全版ではなく、 日本で一番最初に公開されたバージョンを前提にして 話しているつもりですが、 それでも「退屈」と思ってしまった私に、 完全版を見る体力はありません。 それでいて、前半、主人公の少年時代と、 余りにも有名なラストシーンだけは大好きで、 もう、この映画はここだけでいいわい。 ジャック・ペラン、要らん!とまで思ってしまいました。
小さな村の、小さな愛すべき映画館の物語です。 サルヴァトーレ(サルヴァトーレ・“トト”・カシオ)は、 映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)と仲良しでした。 最初、アルフレードにとってサルヴァトーレは、 「映写室にのこのこやってくるうるさいガキ」でしたが、 アルフレードが小学校の卒業資格を得るためのテストを受ける際、 サルヴァトーレにカンニングの手助けをしてもらう見返りに、 しぶしぶ映写室に入ることを許し、 そのうち、上映のときのフィルム交換なども 手伝ってもらうようになった感じでした。
しかし、やがてサルヴァトーレは成長し、恋も覚え、 村を去って、やがて映画監督(ジャック・ペラン)になります。 そして、親愛なるアルフレードの訃報を聞き、 何十年も疎遠になっていた村に帰ってくるのでした。 ……というところから映画が始まっていました。
当初、映画は教会で上映されていました。 そんな関係で、徹底した乱暴なばかりの検閲により、 色っぽいシーンを軒並みカットされたり、 はっきり言って台無しなのですが、 それでも人々は楽しみに集います。 何度も同じ作品を見て、台詞を先取りする男、 赤ん坊に乳を含ませながら銀幕を見つめる母親などなど、 この映画の観客自体が「映画として見せる価値あり」 という演出が、さすがにうまいと思いました。 教会の火事により、 たった1つの娯楽が消えてしまうのか?に見えたところで、 立派な劇場「パラダイス座」が建ちますが、 この辺の経緯も愉快です。
この映画は、評判になっただけあり、 見ていらっしゃる方が多いと思いますので、小ネタを少々。
作中、ルキノ・ヴィスコンティの 『揺れる大地』という作品がちらりと登場します。 1947年製作のこの作品は、日本では1990年に初公開されました。 私は機会がなく、まだ見ていないのですが、 いわゆる“おヴィスコンティ”な耽美主義の映画ではないようで、 彼の初期の作品だそうですが、興味深いところです。 イタリア映画の黄金時代をさりげなく描いたという点でも、 これは意義ある映画作品といえましょう。
そういえば、本当に誰もが映画が大好きだった時代というのが 我が国にもあったのだと思いますが、 残念ながら、その時代の空気を知らずに成長した世代でも、 何か感じ入るところはあるのではないかと思います。
それから、少し前のNHKの番組を見ていて、 成長したサルバトーレ・カシオ青年が、現在、 映画の舞台ともなったシチリアで映画の勉強中と知りました。 詳しい情報ソースが見つからず、見た記憶だけで書いていますが、 幼い頃の面影を多分に残した、元気そうな感じのいい若者でした。 11月8日で23歳になるそうです。
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