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2002年10月01日(火) アントニア

本日は、全くの気分でこちらの1本をどうぞ。
(「母の日特集」で、来年あたりまた使い回す可能性もありますが)

アントニア Antonia
1995年 イギリス/ベルギー/オランダ
マルレーン・ゴリス監督

ビデオタイトルは『アントニアの食卓』

大昔、向田邦子さんのエッセーで読んだのですが、
「人の一生」をこんなふうに表現した言葉があるとか。

「入れました/出しました/こどもができました/死にました」

まーっ、身も蓋もないというか、明快というべきか。
向田さん自身まだ小さい頃で、見世物小屋(!?)だったかで
このフレーズに触れたのが印象深かったそうですが、
彼女のおばあさまがそれを聞き、
すごい勢いで彼女の手を引っ張ってその場を立ち去った、
みたいなオチだったと思います。

この、何ともユニークなヨーロッパ映画を見終えたときに、
真っ先にこの言葉を思い出しました。

映画は、自分の死を悟った老婆・アントニアが
目を覚ますところから始まります。
「気分は悪くないが、今日自分が死ぬことを彼女は知っていた」
といっても、誰かに命をつけ狙われているわけではなくて、
生物としてのごくごく当たり前の寿命というか、
そういうものが、彼女には「わかってしまった」のでした。
猫は、自分の死を悟ると姿を隠すといいますが、
人間であるアントニアは、愛する人々をみんな部屋に集めます。

そもそもアントニアが、長年足が遠のいていた故郷の村に
娘ダニエルを連れて帰ってきたのも、
自分の母親の臨終に立ち会うためでした。
「放蕩娘のお帰りだ」などと、口さがない奴にクサされても、
心正しい人ならば、男女も年齢もその他の要素も分け隔てなく、
愛情と敬意を持って接し、土地を肥やし、種をまく彼女は、
幾つもの季節をそこで過ごし、家族をふやし、
そして年を重ねていった末、
愛する人々との静かなお別れを決意して……

一言で言って、滴り落ちるように豊かな「愛」が印象的でした。
それは、ヘテロ趣味の男女の「それ」のみ意味するわけではなくて、
もう、とにっかく「愛」なんです。
ベッドどころか、食卓を一緒にすることすらなかった2人を
結び付けていたものも、やっぱり「愛」でした。

生きていれば、喜びからも悲しみからも逃れられません。
それは、人生というものを
1度でも考えたり、見つめたりしたことがあれば、
言わずもがなの現実でしょう。
でも、これをこんなふうに映画の格好で、説教じみず、
でもはめも外し過ぎずに表現するのって、
かなり難しいのではないかと思います。
本作は、そんな面倒くさいことをやってのけ、
でも映画としてはちっとも面倒くさくなく、
笑いと涙を等分にしてくれるのですから、
タダモノではないと思いました。

ところで、ヨーロッパの田舎の風景って、
国が違えと゜、いろいろな意味で、「どっか似て」いますねぇ。
この映画も、見ているうちに、
『ショコラ』『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』
『ムービー・デイズ』『バベットの晩餐会』
などなど、
チョコレートを万引きする女だの、
下着カタログに興奮するじいちゃんだの、
芋版でつくった映画のチケットをくれる少年だの、
グロテスクな高級食材にビビる老姉妹だのが、
今にも出てきそうな錯覚をしてしまいました。
中国人と日本人を混同しているハリウッド映画を
嗤う資格がないなあと、反省するばかりです。


ユリノキマリ |MAILHomePage